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ibaibabaibaiのサイエンスブログ

サイエンス中心の予定ですが,何を書くかわかりません.統計とかの話はこっちに書くつもり. https://sites.google.com/site/iwanamidatascience/memberspages/ibayukito  ツイッターは@ibaibabaibai

アイス・イレブンの秘密(2) 72K相転移の発見

ここまでの話

前回は,氷の中の水素原子(正確には水素イオン=プロトン)がice ruleという制約条件の範囲でランダムに動いていることを説明した.また,それから順列組み合わせの式で求めたエントロピ―の計算が温度計や魔法瓶を使った実験とぴったり合う,という話をした.「目に見えない小さな要素で世界が組み立てられていると仮定すると,簡単な計算で実験と比較できる答えが出てくる」という統計力学の面白さが凝縮された話だと思う*1

さて,そうしたことがわかったのは,もう80年も前である.しかし,そこから先の「うんと低い温度で長い長い時間がたったときに一体なにが起こるのか」は,実験家にとっても理論家にとっても難問だった.そして,その探究の道は統計力学という楽園からの旅立ちでもあったのだ*2

相転移の発見

まず,実験のほうである.低い温度で,何日という単位で観測すると,じわじわと熱が放出されることは1970年代前半から知られていた.いわゆる「比熱の山がだんだん立ち上がってくる」という状況である.これは中でなにか秩序ができかけていることを示唆する.

しかし,ただ待っていてもらちがあかないので,積極的に手を打ちたい.前回述べた4種類の「欠陥」(ice ruleの破れ)が低温ではできにくいのが,水素原子が動けなくなっている原因だと思われる.あまりにも局所的に厳しく最適性を追求すると,抜本的に構造を組み替えるゆとりがなくなってしまうのは,普段の暮らしでもよくあることだろう.

そこで,対策として意図的に欠陥を作るような不純物を入れることが考えられた.まず試されたのがフッ化水素(HF)である.HF分子は強い水素結合を作るが,水分子には2個ある水素が1個しかないので,氷の中に入ると欠陥を作ることになる.これは名案に思えるのだが,十分な効果は得られなかった.

次に試されたのが,水酸化カリウム(KOH)などのアルカリである.この場合はOH-というマイナスイオンがHFの役割をする.机の上で考えると,どっちも同じように思えるが,実はこれが「当たり」だった. 金沢大学の河田脩二氏は,1972年の論文で,アルカリを加えた水で作った氷で70K付近で誘電率の異常が認められることを報告しているが,これが世界で最初にアイス・イレブンへの道を拓いた研究であった.

HF分子やOH-イオンは4種類の欠陥のうち2種類を同時に作りだす.この2つは別々に伝わってゆくことができる.
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ちなみに河田氏は,半生を氷の誘電率の測定に捧げた研究者だが,原論文を読むと「氷に電極を貼るのに軟らかいペースト状にした金属を使うのが再現性のある結果を得るコツ」などとあって面白い.硬い電極だと,冷却した時に氷に微細な亀裂が入るのだそうだ.

その後も,ゆっくりと話が進むが,自分が大学院生時代に見て「これで決まりか」と思ったのは「アルカリを加えた氷の熱量測定で,72Kではっきりとした相転移がみられ,エントロピーがほぼゼロになる」というこれもまた日本のグループの論文であ(この人たちもまた先代の教授のころから氷の熱量測定を行っている). 

Phase transition in KOH-doped hexagonal ice

このブログを書くために色々調べてみると,上の論文のきれいな結果は再現が困難だという記述も見られ,これが本当に決定的な結果だったのかどうかはよくわからないのだが,その後のいろいろな研究を含めて「KOHなどのアルカリを加えた氷で水素原子の位置が秩序化する相転移が温度が72Kのあたりで起こること」は,おおむね間違いないことがわかっている.

11番目の氷,アイス・イレブンの発見である.

思いがけない強誘電性

熱量測定だけでは,何か起きていることはわかっても,どんな配置になっているのかはわからない.X線で見るには水素は軽すぎるので,中性子を当てて調べるのだが,水素のままだとうまく行かないので重水素に置き換えたりする*3

そうやって調べた結果の水素原子の並び方はかなり驚くべきものだった.

じつは,模型を作って調べてみると「普通に考えるとエネルギーの低い配置はこうなるだろう」というのが簡単にわかる.隣接する水分子の水素原子の位置関係をみると,ice ruleで決まる配置は2種類のエネルギーの値のどちらかを持つ(正電荷を持つ水素が避けあっているほうとそうでないほう)*4.そこで,各対ごとにエネルギーが低いほうの配置を選んでいくと,大体の様子が決まってしまうのである.

ところが,実験で得られた配置はそれとは合わないのだ.静電気の力は距離の2乗に反比例する.正負がペアになっていること(双極子)を考慮すると,逆3乗則になるが,いずれにしてもかなり遠くまで伝わる.しかし,そのかなりの部分はice ruleを満たす配置に限定すれば一定になる.すでに「織り込み済み」なのである.だったら最も簡単な近似でよいのではと思うのだが,どうもそうではないようなのだ.

もうひとつの驚きは,実験で得られた配置が強誘電体」(ferroelectrics)の性質を持っていることである.強誘電体はいわば磁石の静電気版みたいなもので,それ自体はそんなに珍しいものではない*5.しかし,すぐ後で述べるように,普通の氷が強誘電体になると,面白いことが起きるかもしれない.

アイス・イレブンのプロトン配置
Ice XI (ice-eleven)

ウィキペディアの「アイス・イレブン」
Ice XI - Wikipedia, the free encyclopedia

宇宙の氷はアイス・イレブン?

アイス・イレブンが実験室で実現したとなると,こんどは自然の中にはないか,というのが知りたくなってくる.この場合,アルカリを含んだ氷でなくても,何十万年,何億年という時間経過がありうるわけだから,水素原子の位置が秩序化していても不思議はないかもしれない.

まず最初に思い付くのは南極大陸である.実際に調査が行われたようだが,普通に考えると見込み薄なような気がする.その次は宇宙空間である.たとえば,天王星とか冥王星のあたりの氷がアイス・イレブンになっているという可能性が,日本の研究者によって真剣に提案されている.

この場合に,アイス・イレブンが強誘電体であるというのは,どういう意味があるのだろう.磁石(強磁性体)の場合は「N極だけの磁石」や「S極だけの磁石」(磁気単極子モノポール)が私たちのまわりに存在しないために,いつまでも磁力が保たれるが,強誘電体では表面のプラスやマイナスの電荷は中和されてしまう.この点が大きな違いで,強誘電体といっても,一見すると普通の物質のように見える.

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ただ,宇宙に孤立して浮かんでいる場合は,表面電荷は中和されないかもしれない.そうすると,接近する探査機はバリバリっと強烈な電撃をうけたりするのだろうか?(いやまて,電線にとまった鳥は感電しないようだが,それと同じで平気なのか? 空気がないと高圧でもコロナ放電とかしないはずだし・・)逆に表面電荷が中和された状態で,中身に永久分極があるとすると,着陸船のロケットの熱でそれが元に戻って,いきなりどっかーんバチバチ,大変なことになる可能性はどうか?

・・などと考えて面白がっていたのだが,提案した人はもっと雄大なことを考えているようで,静電気の力で宇宙の塵が相互作用すれば,惑星の形成過程に大きな影響があるという.互いに引き合って,ガーッと一気に合体するのだろうか.

しかし,少し後で述べるように,実験室でアルカリを加えた氷が強誘電体になるからといって,純粋な氷を長い長い間おいても,そうはならないのではないか,という意見もある.残念なことに,仮に宇宙にアイス・イレブンのような水素原子の配置が秩序化した氷があるとしても,強誘電体ではない可能性もあるのだ.

提案者の深澤裕氏による詳しい解説は以下を参照.

4-1 宇宙に強誘電体の氷が存在することを世界で初めて提唱

https://www.wakusei.jp/book/pp/2007/2007-1/2007-1-03.pdf

正面攻撃

いっぽう,理論のほうはどうなったか.前回述べたように「ice ruleを満たす状態のうちでどのような水素原子の並べ方をすれば最もエネルギーが低くなるか」を計算するのにキレイごとの統計力学は無力である.計算機を使ってこれを調べる研究は古くからあるが,氷の中の水分子の相互作用の扱いは簡単ではない.

通常の分子シミュレーションにも水分子はよく登場する.たとえば,タンパクの計算の多くでは,タンパク質そのものよりも,回りに入れる多数の水分子のほうに計算時間を使うし,水や水溶液そのものについての計算も大昔からある.

これらの計算で使う「2つの水分子の間の力」をモデル化するのには(1)水や氷の性質を再現するようにそれらしい関数形の係数を決める(2) 2つの水分子を量子力学的なシステムとみてシュレディンガー方程式の近似解を求める,というふたつの考え方がある.

しかし,いまの問題ではどちらも不満である.そもそも「2つの水分子の間の力」という考え方自体に満足のいかない点がある.前回の注釈でちょっと触れたように,氷の中の水分子たちは,水の中にいるときと形状が変わっている.水素―酸素―水素の角度が水の中では約104度なのに対し.氷(氷Ih)の中では約109度とより開いている.

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さらに「ice ruleを満たす範囲で水分子が回転する」というが,そのときには,水素―酸素―水素の角度,さらに隣の水分子との相対的な角度も,ほんの少し変わるのではないかと思われる.すべてが配置によって変化するなら,結局のところ,多対多の相互作用を量子力学で扱わなくてはならない*6

自分が大学院生だった頃は,こんな計算は夢のまた夢だった*7.しかし,この30年の間の計算機の発達と理論の進歩(密度汎関数法)は,ある程度の分子数(正確に言うと「ある程度大きいunit cell」)について,原子の位置を最適化しつつ,電子の部分の量子力学を計算することを可能にしたのである.

それでは「本気」の密度汎関数法による結果は実験の結果を再現するのだろうか.それとも,何か違う理由が別にあるのか? 

結果(の一例)は下のリンクの論文にある,驚くべし,ガチの計算は実験の結果を再現したのだ!

Phys. Rev. Lett. 94, 135701 (2005) - Hydrogen-Bond Topology and the Ice $\mathrm{VII}/\mathrm{VIII}$ and Ice $\mathrm{I}h/\mathrm{XI}$ Proton-Ordering Phase Transitions

https://journals.aps.org/pre/abstract/10.1103/PhysRevE.73.056113

データサイエンスとシミュレーションの結合

上の論文にはもうひとつ興味深い点がある.

いくら現代の計算機や計算手法がすぐれていても,温度を上げていったときに,非常に多数の水分子が秩序状態から無秩序状態に相転移する様子を,まるごと量子力学で扱うことは困難である.

そこで,この研究では,次のように考えている.

まず,第一段階では,少ない分子数(小さいユニットセル)について,いろいろな配置のエネルギーを密度汎関数法で計算する.

次に,その結果を「データ」だと考えて「任意の配置からそのエネルギーを計算する式」を作る.この部分は,統計学の言葉を使えば「量子計算の結果求めたエネルギー」を目的変数,「ice ruleを満たす配置」を説明変数とした回帰分析である.また,人工知能あるいは機械学習の用語でいえば,密度汎関数法の結果をデータとして「学習」させて,実際には計算していない配置のエネルギーを予測するようなプログラムを作ったことになる *8.論文では,結晶格子の対称性を考慮した複数の量であてはめの式を作っている.

最後に,この予測式をエネルギーだと思って,多数の分子で配置をいろいろ変えるシミュレーション*9 を行う.言い換えると【ice ruleを満たす配置→量子計算の結果求めたエネルギー】という関係をブラックボックス的に表現する式を関数として呼び出しながら,「上位」のシミュレーションを走らせるわけである.

こういうやり方は,この問題に限らず使えるはずである.一般に,下の図のように階層の違うシミュレーションを統合して行う必要が生じたとする.

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いまの例では「上位」とあるのが水分子の向き(水素原子の位置)を動かすシミュレーション,「下位」とあるのが水分子の形や電子の雲の状態を計算する部分である.たとえば,心臓のシミュレーションであれば,「上位」が心臓全体,「下位」が個々の細胞になる.こうした場合,上位を1ステップ動かすたびに下位の計算を実行していては,大変つらい計算になる.

このとき,下の図のように下位のシミュレーションをいろいろ実行して,それをデータとして高次元の回帰(人工知能といいたければそう言ってもよい)で学習させて置き換えてしまう方法がある.一般にこれをエミュレータという.

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すると今度は,上位のシミュレーションはエミュレータを呼び出せばよいので計算時間が大幅に節約できることになる.

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ここでは,氷の話の一般化としてエミュレータを説明したが,自分の中での実際の順番は逆である.エミュレータ一般に関心を持っていたところに,自分がもとから興味があったアイス・イレブン関係でたまたま同種の考え方がされているのを見つけて,なるほどと思った,というわけだ.

謎はまだ続く?

さて,これで理論的には決着と思うかもしれないが,実はまだ続きがある.

いま説明した密度汎関数法による計算は,アルカリを加えた氷については正しいが,純粋の氷(実際には純粋の氷Ihの水素原子が完全に秩序化したのを見た人は誰もいないのだが)については当てはまらないのではないか,という説がある.量子力学の部分の計算はじゅうぶん精密になったのだが,もっと素朴に,強誘電体では表面の電荷によって中身の状態が影響されることを考慮する必要があるというのだ.

アルカリを加えた場合にはたとえばKやOHのイオンが表面の電荷を中和してしまうので,その問題はなくなって,実験結果は表面電荷を無視した計算と合う.ところが,宇宙の氷などでは,その分を明示的に入れて計算する必要がある.そうすると,細かい強誘電体の領域に分かれる,あるいはむしろミクロなレベルで違う配置に変わってしまうことが十分起こりうる・・という主張である.

詳しい議論は以下の文献・解説にあるが,ちょっと読んだ感じでは,かなりもっともな意見のように思える.

[1007.1792] Stability of ferroelectric ice

http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/jp510009m

Ice XI (ice-eleven)

まとめ

氷の中の目に見えない原子の不思議な振る舞いからはじまるアイス・イレブンの話は,それ自身は科学のほんのひとかけらに過ぎないが,さまざまな話題に関係している.そしてまた「もともとの問題と抽象化された問題の関係」や「理論的に理解するとはどういうことなのか」を考えさせる内容も含んでいる.

このブログの(1)を書いたあとで,こんな論文が出ていた.

[1504.04158] Classical and quantum theories of proton disorder in hexagonal water ice


内容は未読だが,ゲージ理論云々は前にも目にしたことがあるし,プロトン量子力学的運動もオンサガーの理論の顛末を思いださせる.どちらかというと「そんなキレイ事じゃないだろう」と反射的に思ってしまうが,この周辺の話題はまだまだ尽きないということを感じさせる.

*1:改めて考えると,エントロピ―の公式S=log Wを既知としたのはちょっと物足りなかったかもしれない.もう一度機会があったら,その説明から書きはじめたい,

*2:自分は修士号以降は氷の研究をしたことがないが,アイス・イレブンの物語は,ある意味では自分の辿った道と重なり,また,ずれてもいるように思われる.

*3:実は,水素を重水素に置き換えても色々な性質が変わらないというのは,必ずしも自明ではないのだが.

*4:氷Ihだと,ダイアモンド構造とは違って,酸素-酸素の軸の方向によって状況が2通りあるので面倒だが,概ね下の図のようになる.点線の距離が遠いほうがエネルギーが低い. f:id:ibaibabaibai_h:20160419013132p:plain

*5: たとえば昔のクリスタルイヤホンに入っていたロッシェル塩が有名だが,変わったところでは,レーザーの波長変換とか強誘電体メモリーとかいう用途もある,

*6:わずかなひずみが結果に影響することの背後には,ice ruleを満たす状態では多くの静電エネルギーが打ち消し合っているために,ice ruleからのずれに敏感になるということがあある.たとえば,ある3原子が一直線からちょっとずれただけでも大きな影響が起こりうる.これを理解するひとつの方法は,ice ruleが厳密に成り立つという仮定のもとに「水分子」という単位の代わりに(酸素+水素2個の一部+水素2個の一部)という単位(ユニット)で配置を考えることで,こうすると新しいユニットは4重極以上しかもたないようにできる(Nagleのunit model).逆にいうと,ice ruleからのズレが双極子相互作用を引き起こすといえるわけである.

*7:既成の「2つの水分子の間の力」を利用した計算のひとつは,実験で得られた強誘電体の結果ではなく,少し上で述べた「単純考え」の配置が最低エネルギーになることを予言した(Davidson and Morokuma. "A proposed antiferroelectric structure for proton ordered ice Ih" The Journal of chemical physics 81.8 (1984): 3741-3742).また,また,それよりもっとずっと計算能力が低かった時代に,いろいろ2体力のモデルを変えてやった計算では,詳細に依存したはっきりしない結果が得られている(Campbell et al. "Interpretation of the energy of hydrogen bonding; permanent multipole contribution to the energy of ice as a function of the arrangement of hydrogens." The Journal of Chemical Physics 46.7 (1967): 2690-2707).

*8:統計学」といっても,「人工知能」「機械学習」といっても,実際やりたいことには大差ないというのは,この30年で得られた重要な教訓である.

*9:マルコフ連鎖モンテカルロ法を使って有限温度の計算を行っている.このやり方は,有限温度の計算だけでなく,エネルギー最低の配置を大きなユニットセルで求めるにも使えるはずだが,自分の理解では,この論文ではその部分の結果は実際にやった小さなユニットセルの密度汎関数法の計算の部分で本質的には尽きているように思われる.間違ってたらごめんなさい.