卵子と精子の対称性の自発的破れ - 性差のはじまりを考える
「性をめぐる生物学の理論」について,特論(この回)と一般的な話(次回)の2回に分けて書く.自分が大学院生の頃は「社会生物学」とか「進化とゲーム理論」という言葉が新鮮な響きを持っていた時代で,そういう話題を普通の教養の一部として耳にする機会があったが,いまはどうだろう.そもそも生物学に,こういう感じの「理論」があることを知らない人も結構いるのかもしれない.一方で,このブログには本職の生態学の読者も多そうなので,恥ずかしい気もするが,自分の中ではそれなりの重みのある話題なので,あえて取り上げてみることにした.
雌と雄の違いを突き詰めると
雌と雄はどこが違うのか.種によっていろいろな性差があるが,哺乳類にこだわらずに広く考えると,生物として基本的なのは「雌は卵子を作るが,雄は精子を作る」という違いになる.
では,卵子と精子はどこが違うのか.基本的には,ひとつの個体から生まれる数が 少なくてデカい配偶子が卵子,多くて小さい配偶子が精子ということになる(ほかに運動性の違いもあるが).
そのあたりの進化が実際の生物でどうなっているのか,という話は,たとえば下のリンク先に表がある(「異形配偶子」で検索すると,もっといろいろ見つかる).
たとえば,アオミドロは「接合」を行って遺伝子を交換する.これはまったく対称的で,かつ,外部に配偶子を出さないプロセスである.別の藻では,遺伝子の交換専用の細胞である「配偶子」を作るが,接合する同士の見かけや大きさは変わらず,やはり対等である.ところが,よく似た仲間の中には非対称な大きさの配偶子(異形配偶子)を作るものがある.これが「卵子」と「精子」の起源のひとつの例ということになる.
おそらく,一般に「対等な接合」のほうが昔からあって,そこから非対称性が生まれたのだろう.何回独立にそういう進化が起きたのかわからないが,そのうちのどれかの末裔がわれわれなのだ.
配偶子が大きいと良い点
配偶子にとって「大きいと良い点」は何か.「外部に放出された配偶子が結合して新たな多細胞の個体になる」というシステムを前提とすると「ある程度の栄養を蓄えたほうが生存に有利」というのは納得がいく.
もちろん,デカくすれば数は減るから,それとのトレードオフで,どの大きさがいちばん有利か,環境や生態によって決まってくる.同じ魚類でも,イクラのような大きい卵もあれば,微細な卵もあるのは,魚をよく食べる人なら知っていると思う.
しかし,これだけでは「大きいのと小さいのが両方できて,大と小が結合する」というのは説明できない.むしろ全部が同じ「最適サイズ」になるほうが起こりやすそうだ.
卵子と精子の物語
ここで「種の繁栄」ではなく「それぞれの遺伝子が利己的に自己の利益を追求する」という生物の基本に戻って考えてみよう.
#「利己的な毒キノコ」の記事も参照
http://blog.hatena.ne.jp/ibaibabaibai_h/ibaibabaibai-h.hatenablog.com/edit?entry=8454420450103236889
一般に遺伝子同士が自分の利益を追求するなら,配偶子のサイズを決める遺伝子だってそうかもしれない.そこで考えられたのが,以下のようなストーリーである.
最初は小さい同形の配偶子からスタートするとしよう.世代を重ねるごとに「もっと大きいほうが高い確率で生き延びられる」というので,デカい配偶子を作る遺伝子が淘汰されて,しだいに配偶子のサイズが大きくなる.「卵子」の誕生である.
この先のひとつの結末は「やがて最適サイズに到達して,ほぼ全部がそのまわりの大きさに揃う」という平穏なものである.しかし,そうはならないかもしれないのだ.
ある程度まで卵が大きくなった時点で「卵の栄養を狙って,多数の小さい配偶子を生成して,デカい卵を乗っ取ってタダ乗り」というタチの悪い戦略が発生してくる可能性がある.「精子」の誕生である.
この説をはじめて聞いたときは,知的な興奮を覚えるとともに「精子ってなんてひどい奴なんだ」と憤りを禁じえなかった.
でもよく考えると自分,雄だったわ.すみませんすみません.
本当にそんなことがあるのか
この説で問題なのは,まず「どうやって検証するか」だ.性をめぐる理論の多くが検証可能性の問題をはらんでいるが,その中でも温度差がある.たとえば次回ちょっと触れる「性比」の問題などは相対的にはましなほうで,今回取り上げた問題はかなり厳しい.
もうひとつ「何か言葉でごまかしてない?」「理論上ホントにそんなことが起きうるの?」という内在的な疑問もある.こちらは「お話」の中身を数式で表現してシミュレーションを行うことで,ある程度は見当がつきそうだ.
お話を数式にする
さっそく数式を作ってみよう.まず,配偶子を作る個数がとなるような遺伝子を持った個体の比率を としよう.このとき,配偶子全体の重さは一定とすると,1個あたりの重さは に比例する.
すると「作る個数がであるような遺伝子を持つ配偶子」と「作る個数がであるような遺伝子を持つ配偶子」が出会うチャンスは (※)に比例することになる.また,それらが「合体」したときのサイズは,両者のサイズの和なので, に比例するとしてよいだろう
そこでもうひとつ仮定が必要になる.適当な関数形を仮定して,合体した配偶子が大人になるまで成長する確率が で決まるとするのである.「デカいほど有利」というのはが単調増加関数だということを意味するが,その範囲で具体的にどういうを選ぶかが,われわれのレシピの鍵になる.
以下では,シンプルな形を使う(元ネタの文献は末尾を参照).
これでとりあえずモデルは完成である.「配偶子を作る個数がであるような遺伝子を持つ配偶子」がサイズの相手と合体して,それが大人になる確率は(※)に を掛けて以下のようになる.
サイズが小さくても,数の力でサイズの大きな相手とくっつくことに成功すれば,大人になるまで成長できる確率の値が大きくなる,というのがポイントである.
「配偶子を作る個数がであるような遺伝子」が次世代に生き残る力は,上の式をについて足し合わせたものになる.
ここで,あまりにが大きいと,サイズが小さくなりすぎて相手に出会うまで生存できないと思われるので,の上限をとしている(このあたりをもっと丁寧にモデル化することも可能である).
新しい世代での比率を求めるには,全体が1になるように「全部のについて足した和」
で上の式を割ればよいだろう.
すると,ある時刻の分布から,次の時刻(次の世代)の分布を求める式は,全最終的に以下のようになる(矢印は代入のつもり).
これをぐるぐる代入してから順番に時間発展させてゆけばよい.
さあやってみよう!
さて,あとはプログラムを書いて実行である.上の式をただ書けばいいのだが,参考までにR言語でのプログラム例を最後のほうに付けた.
a=1/5, N=50とした実行結果は次のようになる.横軸がで,縦軸がである.初期値はさっきのシナリオとはちょっと違うが,からまで等分布からはじめている.
1回目(2世代目)
5回目
200回目
「性別」がもともとある場合
いまの計算は有性生殖といっても「2つの性」があるわけでなく,配偶子が好きに接合するケースに相当する.
これに対して「性Aと性BがあってAとBの組み合わせしか接合しない」という意味の性別はすでにあるという条件下で考えることもできる.この場合「性Aの配偶子と性Bの配偶子の大きさの対称性が破れるか」という問いになるが,考える生物のグループによってはこちらのほうが現実的である.
最小限の数式の変更で済ますと,とをそれぞれ性Aと性Bについての配偶子を作る数の分布として
のようになる.初期値をとでまったく同じにすると特殊すぎるかもしれないので,乱数で初期値を振ることにしよう.
計算を実行すると,たとえば以下のようになる.【性A】 と【性B】 を左右に示した(左右の縦軸のスケールが違っていて申し訳ない).
こんどは,性Aと性Bがそれぞれ「卵子を作る」と「精子を作る」に分化している.乱数を変えて何回もやってみると,下の図のように,逆に性Aが精子に性Bが卵子に対応する場合もある,
最初の乱数のわずかな差でどちらがどちらになるか自発的に決まってしまうわけだ.AとBのどちらが精子に対応するかは,対称性から半々になるはずである.
いやあ,楽勝でしたね!
・・あまり甘くみてはいけない.簡単なプログラムですぐに「成功」してしまったが,実はこれ,調べてみると数理的になかなか微妙な例題のようである.
多くの文献では,に相当するものが連続量となるモデルでゲーム理論的な安定性(末尾のおまけ参照)が調べられているが,結構難しい.われわれのシミュレーションでも,最小サイズや離散化の仕方などに結果が依存しそうである*1.
後半の「性Aと性Bがあらかじめ存在する場合」についても固有の問題点がいくつかある*2.
まず,上ではさらりと流してしまったが,(1)性Aと性Bの配偶子が合体してできる個体は半々の確率で性A,性Bになる,(2)性Aになった場合に作る配偶子のサイズは性Aの親と同じ,性Bになった場合に作る配偶子のサイズは性Bの親と同じ,などを仮定しないと上で用いた式は出てこない.
また「性A(性B)の中に大きいサイズの配偶子を作るものと小さい配偶子を作るもの」が混じる場合(ゲーム理論でいう混合戦略)をどう考えるか,という問題がある.実際の藻の場合にもこれは存在するらしい.この場合「配偶子の大きさが2通りになる」のはよいとして,それと「性Aと性Bの特徴が分化する」の間には論理的なギャップがあるので,そこを説明する理屈が別に必要になるかもしれない.
見どころ(その1)-「雌と雄の戦い」
このストーリーが本当かどうか確かめるのは簡単ではなさそうだが,面白い話であることは間違いない.
まず,ひとつ目の見どころは,協力して当然のように思われる「雌」と「雄」が対立するものとして描かれていることだ.これは,最近も研究が盛り上がっているらしい「雌と雄の戦い」という話の原型になっている.
2014年の岩波「科学」の特集「愛と性の科学」には,「愛は戦いである」「贈り物に隠された計略」「娘の中で繰り広げられる父と母の対立」の3本の解説論文が収録されている.タイトルだけ見ると,ぜんぶ人間の話かと錯覚するが,最後を除く2本は昆虫やウミウシの話である.
目次
雑誌『科学』 2014年7月号 VOL.84 NO.7
雌にせよ雄にせよ,できた子は通常は雌にも雄にもなるのだから,いくら遺伝子が利己的でも「闘争」というのは変に思えるかもしれない.しかし「もし雌であればこのような行動をとれ」「もし雄であればこのような行動をとれ」という風に性別で条件分岐するプログラムを遺伝子がコードしているとすれば,十分それはありうる.遺伝子が生き残るには「自分が異性だった場合のこと」を考える必要はないし,考えてはいけないのである.
たとえば,上記「愛は戦いである―メスとオスの性的対立」(宮竹貴久)によると,ゾウムシの一種では,雄は雌を少々傷付けても自分の子孫が増えるように棘のある生殖器を持っているそうだ.雌もやられてはなるものかと後脚を発達させて思い切り雄を蹴るらしい.もちろん,雌が卵を産む前に100%死んでしまったり,雄が何もしないうちに100%ノックアウトされてしまったら,その遺伝子の子孫は残らないだろう.だから限度はあると思うが,いまの場合,相当思いっきり戦っているらしい.
なお「雌になったとき」と「雄になったとき」が完全には切り替えられない事例についても,上記の解説に出ている.雄になったときは胸部を大きくしたほうがよく,雌になったときは腹部に投資したほうが有利なのだが,完全には切り替えられず,雄のときの属性が雌の場合にもなんとなく出てしまうのである.
さて,こういう話を聞くと,ついつい人間の男女について何か言いたくなる.しかし,それは科学の成果の捉え方としては要注意だろう,すぐに人間にあてはまるとは限らないし,たとえあてはまっても「事実の認識」と「倫理」は別モノである.せいぜい「精子ずるいぞ!」とか「ゾウムシひでえええぇ」と心の中で叫ぶくらいにしておきたい.
見どころ(その2)-「自発的対称性の破れ」
もうひとつの見どころは「対等な状態が自然に不安定化して違うものができる」点である.こちらに着目すると,同じ話をまったく違った切り口でとらえることになる.
「中間の性質の個体の適応性が低くて,適応度の高いものが両極にわかれる」ことを生物の用語では「分断選択」(disruptive selection)という.卵子と精子に関するいまの仮説では,外界の影響だけでなく「配偶子同士が合体して適応性が決まる」ということからくる内部的な相互作用によって分断選択が起きるのが特徴である.
特に「非対称になる前から性AとBが存在して,しかも性ごとに配偶子のサイズがひとつに決まる」場合には,半々の確率で,性A,Bと卵子・精子の対応関係が選ばれる.ほんのちょっとした偶然で「どちらが卵子でどちらが精子か」決まったら,もうあと戻りはできないのである.
理論物理ではこれと似たような現象が「自発的対称性の破れ」としていろいろ知られている.
たとえば,磁石や鉄を赤くなるまで熱すると,磁力がなくなって磁石にもつかなくなるが,冷やすと復活する.このとき,どの方向にNとSが来るかは,復活の瞬間に働くほんのちょっとの外部からの影響,たとえば地球の磁場で決まる*3.それで,磁鉄鉱についてこれを調べることで,過去の地球の磁場の方向を知ることができたりする.
溶液から結晶ができるときも似たことが起きる.最初にどの位置から原子が並びはじめるかで,どこに結晶ができるかが決まる.いったんできはじめると,もう並べる位置は決まってしまって後戻りはできない.
いちばん有名な「自発的対称性の破れ」は,素粒子の基礎理論でのそれだろう.同時にこれはいちばん説明の難しいものでもある.
自分が中学生くらいの時代は,素粒子の研究で大きなブレークスルーがあった時代だが,ブルーバックスなどにはひと時代前の成果しか書いてなくて,それを読む限りではもう絶望的な感じであった.なにしろ「素」であるはずの粒子があとからあとから見つかり,それらの質量にはきちんとした規則性がないのである.
この大変な状況をスッパリと片付けてしまったのが「自発的対称性の破れ」の概念であった.要するに,世界の出発点は本当はすごく単純で美しいのだが,自発的に対称性が破れて「ありうる可能性のひとつだけ」が実現されているために,規則性が乱れているように見える,と考えるのである.最近のヒッグス粒子の発見はこの立場を決定的に裏付けたといってよい.
ここで,ほかの例でいえば,磁石が別の向きに磁化されている世界.結晶のできる位置が違う世界,性A・性Bと卵子・精子の対応が逆転している世界・・が使徒,いや「実現しなかった別の可能性」である.
まあ,こんな背景があるので,物理出身の人間は生物の理論で「自発的対称性の破れ」みたいなものが出てくると滅法うれしかったりするのである.しかし普通に考えても,こんなふうに違う対象を繋ぐロジックがあるのは,やっぱりちょっと面白いのではないだろうか.
Rのプログラム
最初のモデル
par(mfrow=c(1,1)) a=1/5 f=function(z){w=exp(-a/z); return(w)} N=50 P=array(1/N,dim=c(N)) A=array(0,dim=c(N,N)) kmax=200 for(k in 1:kmax){ print(P) for(n in 1:N){ for(m in 1:N){ A[n,m]=n*P[n]*m*P[m]*f(1/n+1/m) } } P=apply(A,2,sum) P=P/sum(P) barplot(P,space=0,col=4) # scan() }
for文が2重にあってあんまりRらしくないが,気に入らない人は各自修正するように.scan()のコメントを外すとリターンキー入力で1ステップずつ進むようになる.
2番目のモデル:「性Aと性BがあってAとBの組み合わせしか接合しない」
par(mfrow=c(1,2)) set.seed(1989) a=1/5 f=function(z){w=exp(-a/z); return(w)} N=50 P1=array(runif(N),dim=c(N)) P2=array(runif(N),dim=c(N)) P1=P1/sum(P1) P2=P2/sum(P2) A=array(0,dim=c(N,N)) kmax=50 for(k in 1:kmax){ for(n in 1:N){ for(m in 1:N){ A[n,m]=n*P1[n]*m*P2[m]*f(1/n+1/m) } } P1=apply(A,1,sum) P2=apply(A,2,sum) P1=P1/sum(P1) P2=P2/sum(P2) barplot(P1,xlim=c(1,N),space=0,col=2) barplot(P2,xlim=c(1,N),space=0,col=2) # scan() }
(もともとの話の)参考文献
比較的新しい文献として,下記のものがあり,関数の決め方などを含めて参照した.無料でダウンロード可能なようである.http://bit.ly/23Rwn50
Bulmer, M. G., & Parker, G. A. (2002). The evolution of anisogamy: a game-theoretic approach. Proceedings of the Royal Society of London B: Biological Sciences, 269(1507), 2381-2388.
途中まで気が付かなかったが,第2著者のParker氏は,このブログで紹介した説のオリジナルを1972年の論文(下)で提案したご本人だった.それから30年を経て,若いときの出世作を擁護する論文を書いていることになる.なんだかすごい.
Parker, G. A., Baker, R. R. & Smith, V. G. F.(1972), The origin and evolution of gamete dimorphism and the male–female phenomenon. J. Theor. Biol. 36, 181–198.
こんな人らしい↓
Bristol University | Public and Ceremonial Events Office | Professor Geoffrey Parker, FRS
メイナード・スミスの有名なテキスト(原著1982.いつのまにか日本語訳は版元品切れ)の4章C節でも異形配偶子に関する話題が取り上げられていて,Parkerらの説が簡潔に説明されている.同じ著者の"The evolution of sex"にも同じ話題がある.
(おまけ)ナッシュ均衡・ESS・CSS
上でやってみせたように,明示的な世代の更新モデルを書いて直接ガンガン計算してしまうのは,現代においては一番簡単なアプローチだが,「遺伝子や交配の仕方の詳細に依存する結果」と「そうでない結果」が混じってしまうという問題がある.
歴史的に重要な役割を演じたのは,ESS(進化的に安定な戦略)の概念であった.これは,ゲーム理論でいうナッシュ均衡の特別な場合である.
進化的に安定な戦略 - Wikipedia
大ざっぱにいえば「ある戦略をみんなが取っているときに,そこに別の戦略の個体が侵入できない」という条件を考えるわけである.これで遺伝子の設定やダイナミクスがまったくいらなくなるわけではないが,問題によってはモデルの細部の設定に対してロバストな結果が得られる.これを「(集団)遺伝学的アプローチ」に対して「ゲーム理論的アプローチ」という.
ただし,ESSは連続パラメータの戦略の場合には問題があって「少数の有限に違うものが侵入する」に対しては安定でも「(多数が)無限小ずれる」ことに対しては不安定になりうる.こういうずれに対しても元に戻る場合をCSSという.
Bulmer and Parker (2002)では,いまの問題についてゲーム理論的な立場での解析がされているが,同形配偶子の安定性ではCSSかどうかが本質的なようである.これに対して「進化のゲーム理論」の4章C節の解析では求めたESSがCSSであるか否かのチェックがされていないように見える*4.
もちろん離散でモデル化するというのもありで,たとえば下の論文では「作る配偶子の個数」ではなく「そのための分裂の回数」で戦略をパラメトライズしているようである.となるわけである.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3427103/
一過性全健忘(TGA)体験記 /補遺
そろそろ平常運転に戻りますが,沢山の方に読んで頂いたので,少し補足をします.
Q 記事へのコメントで意外だったのは?
「頭を打ってTGAのような症状になったことがある」という方が複数いらっしゃいましたが,それはあまり考えたことがありませんでした.「脳振盪」というのは受傷直前のことを忘れるのだろうと思っていましたが「外傷後健忘」という言葉があるのですね.
http://www.nayaclinic.com/bias/factsheets/post_traumatic_amnesia.pdf
スキー場で発症されてTGAと診断された方々の多くには頭部の打撲のエピソードはなさそうですが,軽い打撲でしかも発症まで数分空いていれば気づかないことはあるかもしれません.
自分の場合は,問診で頭部の打撲について聞かれた記憶があまりないのですが,忘れているだけで,実際には確認されたのかもしれません.ジムですから,気づかないうちに転倒,という可能性は絶無ではないと思いますが,画像所見を含めておそらく違うとのではないかと.
Q 書いてよかったことは?
15%ほどですが再発する方がいるということです.ひとりでハイキングとかしているときに「やっ」と力を入れた途端にまたなったら危険だなあ,と思ってたのですが,つい忘れていました.これを書いて思い出しました.
Q TGAに似た症状なら,自宅で様子を見ても良いということでしょうか?
お医者さんに相談せずに勝手に自己診断しているように思えるかもしれませんが,実際には翌日の昼には友人の医師のコメントを頂いていますし,書いていませんが,その方に電話で連絡を取ったりもしています.また自己判断の部分でも,熱や頭痛の有無,手足の動きや呂律に問題ないこと,彼女からみた回復の様子,などを慎重にチェックしています.
小さな症状の有無で緊急性が高いケースもありますから,基本的にはすぐ受診されるようにお願いします.救急では科を指定する必要は必ずしもないと思いますが,時間が経ってからの場合は神経内科です.
医師でない自分が書いてよいのか少し迷いますが,注意すべき鑑別診断について以下簡単に書きます.
a.一過性脳虚血発作(TIA)
一瞬意識がなくなる,手足に少しでもまひがある,呂律がまわらなくなる,などの症状がある場合にはTGAの範疇には入らない可能性が高いと思います.「日本語がしゃべれなくなった」というコメントがありましたが,これも怪しいような.脳梗塞が原因でこうしたことが起きた場合でも,短時間で自然にもとに戻ることがあります(TIAといいます).
こうした場合には再発して大事になる可能性があるので,いま平気でも,必ず受診してください.心臓に原因があって,そこから血栓が飛ぶタイプ(心原性脳梗塞)は特に危険で,まわりにも(2回目3回目で)大事になった方がいます.実は母もこれが原因で9年前になくなりました.発作的に不整脈が出る場合に,それが危険な種類のものかどうかは,そのときに心電図をとらないとわからないので,患者のほうから医師に申告する必要があります.私もブログのエピソードがあって少ししてから,念のために24時間心電図を取りました.
b.てんかん
一般に記憶の障害や意識の変容をともなうことがあるようです.普通にイメージするようなてんかん発作以外に「複雑部分発作」という変わった発作もあります.いままでなかったてんかん発作が起きた場合には,脳腫瘍などが隠れていることもあるので,検査したほうがよいです.TGAの画像上の証拠が欲しかったのは,ひとつにはてんかんとの鑑別が頭にありました.
c.脳炎
頻度は高くないかもしれませんが,緊急性という意味で心配なのは脳炎です.ヘルペスウィルスなどによる側頭葉脳炎は重い障害や死亡につながる怖い病気ですが,精神病のような症状で発症することもあります.抗ウイルス剤による早期治療が意味を持つので,怪しければ迷わず病院に行くのがとても重要です.「側頭葉脳炎」「ヘルペス脳炎」などで検索すると情報が得られますが.本当に大変なようです.ブログのエピソードのときも,もう一方の友人に発熱や頭痛があればすぐ救急で受診するように注意されました.おかしくなってしまったら受診できないので,一人暮らしの場合は特に注意が必要と思います.
Q もっと深刻な海馬損傷にはどういう例がある?
気軽に語れるようなことではないですが,たとえば,ある日突然に気分が悪くなって立ち上がれなくなり,そのあと記憶障害が回復しなくなってしまった,という例が文献にありました.まず脳底動脈系の梗塞が起き,おそらくそのままでは命にかかわる状態だったのが自然に外れて,壊れた血栓が海馬周辺の血管に詰まった,ということのようです.心臓から血栓が飛んだ可能性が大きいらしい.リハビリしようとしても自分の状態を忘れてしまうのでうまくいかないようで,大変なことだと思います.
http://tokyodesignroom.jp/test/pdf/2003/page114.pdf
有名な物理学者のランダウは晩年に交通事故で重傷を負いましたが,一説には両側の海馬損傷があったともいわれます.一方で事故後も1/sin xの不定積分はできた(息子か誰かができないのを嘆いていた)という話もありますが,矛盾はしないもしれません.
余談ですが,その話を聞いて1/sin xの不定積分をやってみたら結構難しかったです.
Q 海馬以外に同じようなピンポイントの損傷が起きたらどうなるんでしょう?
はっきりわかりませんが,海馬(あるいは海馬のCA1領域?)には固有の脆弱性があると聞いたことがあるように思います.組織特有の性質とか,そこに行く血管が長いとか,あるいは,それらいくつかの合わせ技とかでしょうか.もしそうだとすると,脳のどこででも起きることではないのかもしれません.
もし仮に,海馬でなく扁桃体で起きたら,と思うと怖いですね.人格や好き嫌い,怒りの感情といったものが突然一変して,しばらくして何事もなかったように戻る.記憶はあるけれど,自分の感情が説明できない.脳科学的悪夢です.
Q「一週間フレンズ」知らなかったのですか?
「一週間フレンズ」も「メメント」も知りませんでした.「一週間フレンズ」は題名から「友達のいない子が一週間だけ契約して友人になってもらう話」だと勝手に思い込んでいました.
フィクションの記憶障害というと,多数派は「覚えられない」ほうではなく「過去を忘れる」ほうだと思います.読んでいないのですが,事例を多数集めた「フィクションの中の記憶喪失」という本があります.
Q ドーナツの種類が同じだったかどうか気になります
彼女にはてなブックマークのコメントを読んでもらったら,「私もそこが知りたい」という返事がありました.しかし,いまとなっては知るすべがありません.
Q 面白い彼女さんですね
はい.
彼女「はるさめの味噌汁を作った」
私 「そんな料理はない」
彼女「私が考えた」
彼女「家庭に入るという選択もありますね」
私 「え? えええええっと」
彼女「碇ユイを知らんのか!」
彼女「ああ,あそこでは博覧会があったんや」
私 「いつごろ?」
彼女「えーと,明治かな?」
普通の事務職の人ですが,某巨大図書館に入り浸ってあらゆる本を読んでるみたいです.一時は新聞を熱心に読むあまり,どんどん遅れていって,話題が1か月前のニュースになるんで困りました.
Q 最近も仲良くしてますか? 最新の話題は?
はい.クリスマスを一緒に過ごしましたが,お互いに相手が「空想上の親友」なんじゃないかと疑っていることが判明.問題はどっちが実在の人物かということですね.
最新の話題は・・ 新聞広告を集めた本を読んでるそうで(その前は石仏事典だった)「三大寄生虫病に効く薬の広告」とかで,私が見事に(ラスボス的存在の)十二指腸虫を言い当てたので盛り上がりました.今日は時計草の実のなり方と雪虫の生態かな.
ある日海馬が故障した - 一過性全健忘(TGA)体験記
だいぶ固い話題が続いたので,気分を変えて.3年ちょっと前に経験した奇妙な出来事についての報告を書くことにする.簡単にいうと,ある日突然海馬が故障して記憶にまったく書きこみができなくなり,数時間で治った.という話である.途中から科学者魂というか,何としてでも画像を手に入れてやる,みたいなモードになるのだが,さてその結果はどうなったか.症状のほうはそのまま回復して,その後再発もしていないので,心配せずに読んでいただきたい.あと,文中にも出てくるが,筆者は医療関係者でも脳の専門家でもないので念のため.
「これで5回目だと思う」
その日は10月の土曜日で,午後は自宅で科研費の書類を作っていた.それにも飽きて,いつものようにバスで最寄り駅まで行き,ジムに入った.着替えて,軽い筋トレをはじめたが,途中からなにか考えがうまく回らなくなって,ジムの中でうろうろしていたような気がする.
そのあとしばらくたって気がつくと,ジムのあるショッピングセンターを出たところで,遠距離の彼女に電話をしていた.
自分「いや,なんだか頭の調子がおかしくてさ.アルツハイマーとか脳の病気かもしれない.自分がなぜひとり暮らしなのか思いだせないんだ.どうやら一緒に住んでいた父も母も死んでしまったみたいなんだが,一体どういう経過でなくなったのか全然わからない」
彼女「それはいいんだけど,この電話,これで4回目か5回目」
自分「え? 同じ電話を何回もしているの? まったく記憶にないけど」
彼女「その反応も含めて,ここ1,2時間で何回もまったく同じ電話が」
自分「そりゃあ大変だ!」
「私が3人目だと思う」ならいいが「これで5回目だと思う」ではしゃれにならない.しかも「そりゃあ大変だ!」も5回目らしいではないか.このときはもう回復しはじめていたので,この回からは記憶があるわけだが.
そのあとどうしたか.まず「これは低血糖による意識障害かもしれない」と自己診断して,とりあえずミスドに入ってドーナツとコーヒーを注文した.なんたる冷静沈着と自分でも思うが,翌日ポケットから,ドーナツの領収書が2枚出てきた.冷静沈着でも記憶に書きこめないので,まったく同じ思考プロセスを繰り返してドーナツを2度食べたわけだ.
それから,バスかタクシーか思いだせないが,なんとか家に帰って来た.家を覚えていてよかった.そこでまた彼女に電話して「まだおかしいか」と聞くと,「大体まともだが,やや話に繰り返しが多い」とのこと.なるほど時計を見ると,主観的な経過時間より長く経っているようにも思える.
寝る前に医療系の友人2人(疫学の研究者と医師免許を持っている脳科学の大学院生)に症状を説明したメールを出した.
いま,このときのメールを見ると「最近人の名前とか思いだせないので認知症が心配」とか「むしろ軽い意識障害か譫妄のように思えるが熱はない」とか「側頭葉脳炎じゃないよねえ」とか「低血糖気味だった可能性はあるけどジム行く前にアンパン食べた」とか色々書いてある.
この日,本当に助かったのは,異様な事態にも関わらず,遠距離の彼女が冷静沈着だったことだ.あとで説明するように,こうした事態は実はそんなに珍しくないのだが,家族とかまわりの人のほうがパニックになるのが普通のようだ.彼女は文系で普通の会社員だが,相当な変人といってよい.本当は何かの研究者になるべきだったのではないかと常から思っているのだが,常識人でないほうがむしろこういう場合には良いのかもしれない.後で医師に見せるために通話の記録をお願いしたら,完璧な要約が送られてきた.
素早い回答
翌日のお昼に起きてくると,さっそく院生さんのほうからメールが来ている.素早い.いろいろ鑑別はあるが,可能性の高いのは一過性全健忘(Transient Global Amnesia,TGA)とのことで,日本語のサイトのリンクが引用されている.初耳だが,とりあえず悪い病気ではないらしいのでほっとする.
夜になって,もうひとりの方の同僚の先生の意見が来る.これも「いろいろ鑑別はあるがTGAにもっとも当てはまる」とのこと.
TGAて何? というわけで,ウェブを検索すると事例がいろいろ出てくる.皆さん大慌てのようだが無事に治っているようで頼もしい.なぜか「スキー場で」というのが複数あるが,何か意味があるのだろうか.
論文を読む
院生さんからの情報には「48時間~72時間でMRIを撮るとよいらしい」とある.直後では画像には出ない,ということのようだ.教えてもらったサイトからたどると,この総合報告が見つかった.
http://www.thelancet.com/journals/laneur/article/PIIS1474-4422%2809%2970344-8/abstract
ここからPDFにアクセスできる.英文だが,図や画像がいろいろ出ていて,お勧めである.
この報告によると,従来は器質的な変化を示唆するものが全くなかったTGAだが,画像診断の発達によって急性の微細な海馬病変が見られることがわかったらしい.具体的には,発症後少し経過してから高解像度のMRIを撮ると,8割以上の症例で海馬に微小な高信号領域(白点)がみられるとのこと.48時間~72時間がピーク.
論文には,多くの症例の高信号領域の位置を海馬に重ねた図が出ているが,CA1と呼ばれる領域に見事にずらりと並んでいる.そこのほんの一部がピンポイントで壊れて記憶に書きこみができなくなってしまうらしい.ハードディスクがカリカリいっている様子が目に浮かぶような話だ.
そうなると,いまこの瞬間に考えていることは心の中に保持できるが,それは記憶されずにあっという間に消えてしまうことになる.永遠の現在.いわゆるもの忘れとは違って,主に書きこみの障害なのだが,自分がなぜひとり暮らしをしているか思いだせなかったように,ある程度は過去のことも思いだせなくなるらしい.
数時間(私はもっと早かった)から1日程度で回復するのは,該当部位の機能が回復するのか,情報の流れが再構成されて隣接部位が代行するようになるのかはわからない.おそらくは後者か.
TGAの原因は何だろうか.画像に変化が現れるとなると,脳梗塞あるいは一過性脳虚血発作(TIA)のようなものを考えるが,上の報告はその点には慎重である.
実は以前から,普通の脳梗塞のような動脈側の問題ではなくて,頸静脈の逆流による海馬の虚血が原因なのではないか,という説があるらしい*1.TGAと他のTIAの間にはあまり関連が見られないことも,静脈逆流説を支持する理由になっている.ただし,静脈側の問題でピンポイントの病変が生じる理由はわからない.また中年以上に多いというのは,むしろ動脈硬化との関係を示唆するように思える.
「この論文の条件で撮像してください」
こうなると,MRIが撮りたくなる.TGAと決まれば比較的安心なようなので,ここは確定診断しておきたいし,本当にあれが海馬の小さな点の仕業だったのか確かめたい気もする.
しかし,医療関係者でもなければ,常勤の神経内科医の友人もいない人間が,そんな絶妙なタイミングで画像を入手できるのだろうか.この時点で36時間.あと36時間以内に撮像は可能か.なんかプロジェクトXのようになってきた.地上の星でなくて海馬の星だけど.
職場の近くに画像診断専門クリニックがある.基本的には他の病院からの依頼で検査をするのがメインで,ほかに保険外での健康診断的な業務もやっているが,論文のコピーを握りしめて現れるお客はあまりいないだろう.しかし,まずそこに行ってみた.
そこの先生に相談すると,検診扱いで自費診療というのはあるが,やはりどこかで受診して依頼状を貰ってきたほうが良いとのこと.そこでめげずに,家のほうに戻って,かかりつけの病院を受診.内科を中心に何人もの専門医が同じ施設で診療している病院だが,いつもの先生から「もの忘れ外来」をやっている脳外科のA先生を受診するように勧めて頂いて,横の診察室ですぐに受診できた.
A先生の診断もTGAで間違いないだろうとのこと.2年に一度くらい患者が来るそうだ.画像には出ないだろう,というご意見だったが,快く依頼状を書いていただくことができた.さあ行くぞ.
しかし.もうタイムリミットが近い(まあ長いほうは72時間を超えても出るかもしれないが).とりあえず,翌朝ぶっつけで昨日の所に行くと,ビンゴ! 3テスラのMRIがキャンセルで空いている!
そんなことを頼んでいいのかわからなかったが,検査前に技師さんに論文を見せて「この論文の条件(3テスラ、2~3mmのスライス、高b値)で撮像してください」といってみた.「20分間,絶対に動かないでください」とのこと.読影は遠隔のセンターでやるのだが,そこにもファックスで論文を送ってくれた.
かくして,ほとんど奇跡的に発症後62時間のゴールデンタイムに撮像できた.終わってから技師さんが「なんか出ているようですよ」と言っていたが,それ以上は先生でないと聞いてはいけないので我慢した.うっすらなにか光っているのかなあ,と思った.
海馬の星
さて翌日,A先生を受診した.診察室の入り口から覗くと,ベテランのA先生が椅子の上でずっこけている.うわぁ,初めてみた,ということらしい.
上がDWI(拡散),下がT2強調といわれる画像である.両方に出ているが,上ので十分だろう.DWIに出ているということは新鮮な病変であることを意味している.
背景をよく見ると素人でも海馬の形を見分けることができる.CA1かどうかはわからないが.添付文書によると,まさにCA1の位置とのこと.
やったああ!と思ったが,よく考えると自分の脳が壊れているのでマズイような.しかし,予後良好らしいということもあって,ついつい文献の結果が再現できた喜びに浸ってしまうのであった.
これを撮った時点ではもう症状らしいものはなかった.後日,念のためにもう一か所,神経内科を受診したが,画像の証拠もあるし,TGAとして経過観察ということになった.
あとで考えたこと,そしてお礼
思い返してみると,あのときの「いつのまにか両親もいなくなってしまって,私はひとりでここで何をしているのだろう」という思いは,実はふだんも感じていたことかもしれない.ただそれが「何だかそういう気持ちになる」から「本当にわからない」に変わっただけだったような気もする.そして,確固としているように思える「現在」や「過去」も,海馬の上の小さな領域に支配される夢のようなものなのかもしれないと思ったりする.
友人のお二方,そこから相談が行った先生と後日受診した神経内科の先生,画像診断専門クリニックの先生方,技師さん,かかりつけの先生,A先生,そして遠距離の彼女,短期間に沢山の方にお世話になりました.皆様ありがとうございました.お陰さまで本当に助かりました.
余談
上で書かなかった話をひとつ.(1回目か2回目か忘れたが)画像診断のクリニックを受診したとき,非常勤の若い先生と話していて,あまりにも相手がTGAに詳しいので,最後に「先生は神経内科ですか」と聞いてしまった.答えは「いいえ.私も経験があるんです.まったく同じ症状でした」.案外多いのか偶然なのか.ただ50歳以下には少ないという話だったのでその点は謎である.
(メモ)より深刻な海馬梗塞について
類似の症状でも,より大きな脳梗塞が海馬を含む範囲にできることがあり,その場合には症状が遷延したり,回復がはかばかしくないことがあるらしい.「海馬梗塞」で検索すると和文の報告がいくつかヒットする.そういうこともあるので,似た症状でも受診したほうが良いと思う.
なお「博士の愛した数式」とか「ef」とか「掟上今日子」とか記憶を保持できない主人公の出てくる物語がいくつか思い浮かぶが,それらはもしかするとそういう原因なのかもしれない,と空想する(事故とか認知症の初期も考えられるし,フィクションなのでどれとも一致しない症状もあると思うが).
同じ著者の別の闘病記
「成人麻疹体験記」が別の回にあるので,そちらもよろしく.15年ほど前にいい年をして麻疹になって危ない目にあった話です.もともとはしかと都市,はしかの数理の話の付録として書いたものですが,独立して読めます.
光の波(下) ― きれいな光には毒がある
発端となったカメラの絞り値の話はかなり雰囲気も違うので,後日掲載ということで,光学編はこれでひとまず終わりです.
日常の中で光が波だと気づかないのはなぜ?
前回触れたような面白い現象がいろいろあるのに.ふだん光が波であることをあまり意識しないのはなぜだろうか.ひとつの理由としては単に気付かなかったり,見過ごしたり,ということがある.前回の光の波(上)でちょっとだけ触れた「指の間を狭めたときに見えるしましま」 *1 などはその例だろう.
また,今回は説明しなかったが,油膜やシャボン玉の膜に色が見えるのも実は光が波である証拠である.この場合,現象自体は誰でも知っていても,知らないとそういう風には考えないわけだ.
「ポアソンの斑点」を日ごろの生活で目にしている人はいないだろう*2.そのひとつの理由としては,遮蔽物がかなり完璧な円板または球である必要があることが挙げられる.かなり微妙な現象なので,周辺が光の波長レベルで円形でないとうまくいかないかもしれない.ポアソンの斑点はアラゴより前に報告した人が2人いることが後で分かったそうだが,ポアソンやアラゴの時代にはそういう円盤や球が普通に手に入ったということになる.
きたない光ときれいな光
光が波であることを確かめる機会が少ないのは,こうした理由でもある程度説明できそうである.しかし,それだけではないのだ.波の現象がはっきりと観測される重要な要素として光の「きれいさ」(コヒーレンス)がある.
「きれいな波」というのは,人間の規準で「美しい」という意味ではなくて,波としてランダムネスのないサイン曲線の形をしている,ということである.たとえば,こんな風なイメージだ.
レーザーの波はこれに近い波で,だからこそ,ヤングの実験やポアソンの斑点などの波としての性質を調べる実験では,レーザーが好んで使われる.レーザーというと材料加工とか核融合とかで「強い光」という印象を持っている人がいるが,むしろ質的な違いが重要なのだ.
これに対して.太陽光や白熱灯の光はかなりランダムで,たとえば,こんな感じかもしれない*3.
蛍光灯の光は,仕様によると思うが,概して白熱灯よりはランダムネスが小さい.高速道路のトンネルのオレンジ色の光はさらにきれいな光である(それでもレーザーには及ばない).
ランダムな時系列は,少しずらして自分と重ねてみると,様子がよくわかる.下の図はだけずらしたところだ.
ずらす量が少しなら強めあったり弱め合ったりするが,ずれが大きくなると,自分の遠い過去は忘れてしまっているので,平均的にはどちらでもなくなる.どこまで記憶が残っているかが光のきれいさ(ランダムネスの大きさ)の指標になるわけである.下の図はその様子(自己相関関数)をあらわしている(ちゃんとした定義はおまけ1参照).
上の例の場合,最初に打ち消し合うあたりまでが花で,そのあとはもうヘタれてしまっているようだ.
時間的な波形だけでなく,空間的なランダムネスもある.きれいな波だと
のようになる.「尾根」の部分をつないだものは下の左のように真っすぐである.これが空間的にランダムになると右のように乱れてしまうわけだ.
レーザーのない時代にはどうやって実験したの?
まず,時間的な乱れについては「あまり大きくずらさない」というのが基本方針である.たとえば,さっきの乱れた波でも最初に弱め合うところまでは実験できる.それではさすがに足りないかもしれないが,数回弱まったり強まったりするくらい(数波長)ずらせることができれば,いろいろな実験が可能になるかもしれない.
また,特定の波長の近くの光だけを取り出すと,光はよりきれいになる.自己相関関数に影響する時間的な乱れを作り出すには,いろいろな波長(波の山と山の距離)の波を混ぜる必要がある(そのあたりはおまけ2にちょっとだけ書いた).そこで逆に特定の波長の波だけを集めれば,光はきれいになるわけだ.極端な話.ある波長の光だけを抜き出すことができれば一番上のサイン波になるはずだが,そこまでやるのは無理である.必ずしも特別なフィルターとかを使わなくても,実験に使用する装置(人間の眼を含む)が特定の波長域で高い感度を持てば,ある波長のまわりの波を重点的に取り出すのと同じ効果がある.
空間的な乱れについては,スリットやピンホールを通した光や星のような遠くの点光源を使うのが定番である.
こうした注意はある程度はレーザーを使う場合にも当てはまると思うが,程度はまったく違うと思う.
色の感覚
ちょっと脱線するが,人間の感じる「色」は光の波長に関係している.しかし残念ながら,その方面での人間の能力は限られていて,網膜にある3種類(人によって多様性があり,たとえば女性では4原色の人もいる可能性がある)の「波長の感受性が違う細胞」で光を受けて,それを脳内で解析しているだけである.(おまけ2)に出てくるパワースペクトルを詳しく読み取るような能力はどんな人にもない.したがって「オレンジ色」といっても,虹の中に見える場合や高速道路のナトリウムランプの場合は「ある範囲の波長のサイン波」であるが,赤い光と黄色い光を混ぜてもオレンジ色に見え,中身は全然違うのに区別できない.そこで,上では「色」でなく「波長」といったわけである.
レーザーの魔法の部屋
ふだん馴染んでいる光が「きたない光」だと知って,がっかりされた方もいるかもしれない.しかし,ここでいう意味で「きれいな光」を普通の家の照明に使ったら,それはそれで思いがけない困ったことが起きるのである.「光が波であること」が日常の中に溢れ出してきてしまうのだ.
それをはじめて知ったのは.学生実験でレーザーを使うことになり,レーザ-をつけた状態で実験室の明かりを消した瞬間であった.そのとき,部屋の壁にも,自分の手にも.細かく不規則に見える謎の模様が広がった.これはスペックルパターン(speckle pattern)と呼ばれるもので,粗い面で反射したレーザーの波が強め合ったり弱めあったり好き放題した結果生じる.
画像検索するとこんな感じだ.
speckle - Google 検索
これはX線の実験をしている人のサイトらしいが,少し下のほうに「台所でみるスペックル」という光の話が書いてある.
http://oleg.ucsd.edu/speckle.htm
普通の光がきれいな波でないからこそ,こうしたものに悩まされずに普通に暮らせるのである.
超放射
もうひとつ「ランダムネスのおかげで常識的な振舞いになる」例をあげよう.
以下では「光の波のエネルギーは振幅の2乗に比例する」ということをもとに話をするが,これは多くの振動する現象に共通することである.
一番簡単な例として,ばねに重りをつけたものの振動を考える.一番最初にばねをひっぱって長さまで伸ばしてから手を放すと,摩擦や空気抵抗がなければ振幅で振動し続ける.最初にひっぱったときの仕事が振動するばねのエネルギーになるが,ひっぱりはじめたときの力はゼロで,長さのところで必要な力はばね定数をとするとだから,仕事のトータルは下の図の三角形の面積でである.確かにに比例している.
さて,2乗にこだわったのは理由がある.いま個の原子が光を出すところを想像してほしい.光の波が重なると単に和になるので,単純に考えると振幅も倍になるような気がする.しかしそうすると,出てくる光の波のエネルギーはに比例することになるではないか.物質の量が10倍になると,出てくる光の量は100倍になる!
これはあまりにもヘンなように思われる.もちろん,すごい破壊光線とかになるとは限らなくて,エネルギーが外部から十分供給されないなら,持続的に光らずに一瞬強烈に光って終わりということも考えられる.しかし,私たちの身の回りに連続的に光るものは沢山あるわけで,それはそれでおかしい.
原子たちが光を出すときに「山と谷が揃った波同士が重なるわけではない」ということに気づけば,問題点がどこにあるかわかる.希薄な気体であれば,異なる原子の出す波は全部バラバラで無相関ということもありうるが,必ずしもそうでなくて,1憶,1兆,もっと多くの原子が山と谷の揃った波を出してもよい.目に見える物質のサイズになるまでの間に波が全く揃わなくなってしまえば,説をくつがえすのには十分である.
しかし,こんどは波が打ち消しあって,全部消えてしまうのではないかという疑いが出てくる.なにしろ,山と谷の位置が完全にランダムな波を無数に足し合わせるのである.
そこで,波の足し合わせについてもう少しちゃんと考えてみよう.波が足し合わさる様子は,下の図のように,小さなランダムな向き・大きさの矢印を無数に足し合わせることで表現できる(大きさの分布は正規分布とした).「2次元」なのは便宜上のことではなくて,(波の振幅,位相),(cosの係数,sinの係数),あるいは(係数の実部,係数の虚部)のような実際的な意味があるのだが,いまはそこは突っ込まないことにする.
上の図の左側は16個,右側は64個の矢印の和である.乱数によって違う経路になるから,左右とも6回ずつやって別の色でプロットした.矢印の個数(独立な原子の個数)が増えるにつれ,じわじわ広がっているが,全体的には4倍の距離には広がってない・・ということが読み取れるかもしれない.
実はこれはデータサイエンスでいう「誤差の法則」と同じ原理なのだ.いまの場合,ランダムな和の期待値はゼロであるが,その回りの分散(2乗の期待値)はに比例し,標準偏差は に比例して増大することが,「独立な量の和」の分散の性質から簡単にわかる(誤差の法則という場合には「和」でなく「標本平均」すなわちで割った量を考えるので,標準偏差は に比例して減少することになる).
これで問題は解決した.符号が一定の和の2乗がに比例することがパラドックスを引き起こしたが,ランダムな和の2乗の期待値はに比例するので,出てくる光の量は物質の量の1乗に比例するのである.少々回り道をして常識的な答が出せた!
実をいうと「物質から出る光が原子数の2乗に比例する」という現象は特別な状況では実在していて「超放射」と呼ばれる.光が米粒を小さくしたような普通の粒子でできていると思っている人がみれば,超放射は光の粒子が互いに誘い合って出てゆくように思えるかもしれない.それを「誘導放出」という.いままで何回も登場したレーザーも同じ性質を利用して光を発生させている.
超放射やレーザーも面白いが,筆者がここまでの話で一番心を動かされるのは,むしろ「普通の光が普通に振る舞う理由」のほうである.まさか誤差の話で出てくるが2乗されてになるとは思わなかった.
しかし,この考え方だと,われわれの見ている風景*4は「ほとんどが打ち消し合ったあとの残りかす」だということにならないだろうか.なんだか妙な気分である.
ファインマン物理では下記のあたりに関連する記述がある.
The Feynman Lectures on Physics Vol. I Ch. 32: Radiation Damping. Light Scattering
(おまけ1)自己相関関数
ランダムな波を調べるのに「少しずらして自分と重ねる」方法がある.数式でいうと
を計算して,ずれの関数としてプロットすることになる.分母は値を[-1,1]に収めるためである.R言語ではacf関数で計算・プロットができる.の定義はとの掛け算であるが,から「ずらして足したものがどれだけ強め合ったり弱め合うか」の指標にもなっている.ちなみに本文の自己相関の図は時系列の図(長さ1000)の10倍の10000個の模擬データを別の乱数列で作って描いた.個数が少ないと幻の相関が見えることがある.
(おまけ2)ランダムな曲線を波に分解する
ランダムな波を調べるもうひとつの方法は「きれいな波」に分解することである.データの時系列を分解したときの重みの2乗を波の周波数を横軸にしてプロットしたものをピリオドグラム,ピリオドグラムを用いて推定しようとしている量をパワースペクトル(power spectrum)という.
いま「もうひとつの方法」と書いたが,実は.自己相関関数とパワースペクトルはほぼ1対1に対応しており,両者に含まれている情報は同じである.対応する定理の(あまり厳密でない)言明と導出は,たとえば Wiener-Khinchin Theorem -- from Wolfram MathWorldにある.
系列zを分解してピリオドグラムをみるには,R言語ではfft()関数を用いてabs(fft(z))^2とすればよい(fft関数の出力は入力が実数の場合でも複素数になるが,絶対値の2乗をとったので正の実数に戻っている).
また,spec.pgram関数というのもあり,こちらを使うと(fft+いくつかの標準的な工夫)によってパワースペクトルを推定してくれる.
本文の系列
からfft関数を使って求めたピリオドグラムの例はこんな感じだ.
ある周波数(波長)のところにピークがあるが,ランダムネスに対応して幅が広がって,ほかの波長の成分が混じってきている.本文の系列を作成するときに仮定した重みは
なので.概略の形はよく似ているが,大変きざぎざしている.
spec.pgram関数のデフォルトでも同様になる(ぎざぎざの様子が違うのは時系列の両端近くの処理が違うからではないかと思うが確かめていない).
これに対して,隣接する周波数の結果を適当に平均すると,ぎざぎざが消えて「正解」に似た形が現れてくる.たとえば,いまspec.pgram(zout,spans=c(31,31))とすると以下のような結果が得られる.
わざと平均して,みた目の精度を落とすほうが,良い結果になるというのは興味深いことである.光の場合は精度が高すぎるとスペックルパターンのようなものが現れたのだが,データ処理におけるぎざぎざにも似た面がある.赤池弘次はデータ解析の奥義について「雪がつもったときのほうが山の形がよくわかる」と述べたが,それはこのあたりのことを指している.赤池はそれを予測の問題として定式化したが,それは現代的な統計科学,そして統計的機械学習・人工知能へと通じる道であった.
*1: 前回詳しく触れなかったが,広めのスリットが1個のときのしましまを考察するには積分が必要で,狭い2個のスリットより解析が難しいのである.
*2:追記: 英文ウィキペディアのヤングの実験の項目では,ポアソンの斑点が日常見られない原因は点光源(あるいは平行光線)の条件が十分満たされないからだとしている. Young's interference experiment - Wikipedia, the free encyclopedia
*3:補注改訂:あくまで例示なので.実際の太陽光の様子を忠実に模しているわけではない.
*4:実は屈折や反射,回折も入射光に揺すられた原子の発光で説明される(ファインマンに見事な説明がある)ので,ここの説明は狭義の発光に限らないことになる.
光の波(上) ― 波から「光線」ができる仕組み,波だから起きる謎の現象
光シリーズの実質最終回ですが,なんか伸びちゃったので上下に分割です.
光と電波は仲間
ときどき思うのだが「光も電波もX線も同じ種類のもの」(電磁波)だというのはどのくらい一般的な知識なのだろうか.日本に住んでいる人の8~9割が普通にそう思っている,という気がする一方で,いや違うのかも,という気もする.実際には,こういうのは「知っている」「知らない」の2択ではなくて「そう言われたらそうかもしれないが,割とどうでもいいと思っている」人たちが多数派なのかもしれない.
自分はというと,小学生のころは科学少年だったから,下のリンクにあるような図がお気に入りで,しょっちゅう眺めては悦に入っていた.こういう図をみると,電磁波の世界は隅々までわかっていて使われているという印象を受ける.しかし,最近よく聞く「テラヘルツ波」はまさにこの図のなかの未探査領域に属する.光と波長の短い電波の中間地帯に十分使いこなせていない「隙間」があったわけだ.世の中はいろんなところで少しずつ進むのだなあ,と思う.
ファイル:EM Spectrum Properties edit ja.svg - Wikipedia
量子力学にもとづく現代的な描像では,光も電波もX線も波の性質と粒子の性質を合わせ持っていて,短波長ほど粒子の性質が前面に出,長波長ほど波の性質が現れやすくなる.しかし,以下では,粒子と波の2重性の話には積極的には触れずに,波の側面に集中しよう.それでも十分面白いと思う.
フェルマーの原理と波
「光が波動である」といったときに,まず最初に問われるのは,光線の挙動,たとえばフェルマーの原理のようなものを波動でどうやって説明するかである.
まず,前の前の記事を復習しておく.「まわりの経路」(下の図の左側の灰色の線)を考えたときに,所要時間がそれらとほとんど変わらないような経路を考える.これは,イメージ的には,下の図の右側の赤い場所に相当する.2点を結ぶ経路のうち,このような経路(所要時間が停留値をとる経路)が実際に光線が進むコースだというのが,フェルマーの原理である.
さて,波で考えるとどうなるか.下の図の左側には停留値でない場合を示した.この場合は,経路をずらすと,ずれの量に比例してどんどん波の山と谷がずれていく.この場合には,問題の経路だけでなく.そのごく近くの経路をまとめて先に足してやると,山と谷が打ち消しあって,振幅はほとんどゼロになってしまう.
一方,下の図の右側には停留値の場合を示した.この場合は,経路をずらしたときの所要時間の変化はゆっくりである(ずれの2乗に比例する).そこで,近い経路をまとめて加えても,激しい打ち消し合いが起きずに済む.
そこで 「自分にごく近い経路を加算しても激しい打ち消し合いが起きないような経路」が有効だと考えると,自然に所要時間の停留値に対応する経路が選ばれることになる*1.これが,波動説によるフェルマーの原理の解釈である.ちょっとはしょりすぎかもしれないが,大筋はこんなところだ.
ファインマン先生による打ち消し合いの解説は,前にリンクした章の最後の部分にある*2.
The Feynman Lectures on Physics Vol. I Ch. 26: Optics: The Principle of Least Time
隠すことで光が集まる !?
波動説でフェルマーの原理が説明できるとすると,次は「波でないと説明できない現象があるか」ということになる.回折とか干渉というのがそういう現象につけられた名前だが,折角なので,少し変わった例を紹介しよう.
波の性質として,山と谷で打ち消し合う,ということがある.そうすると,打ち消し合いに「介入」して,一部を遮ることで,より明るく集中させたりできないだろうか.ピンポン玉や米粒のような古典的な粒子の場合,遮ることで弱くなったり拡散したりはしても,より明るくはならないだろう.したがって,もしそれに成功したとすると,波の性質があることの証明になるかもしれない.
いま「レンズで光を集めたい」という状況で,レンズがまだない状態を考える.この場合,まだ何もないのだから,光線はまっすぐ進むのが当たり前である.フェルマーの原理からいっても,まっすぐ進む経路が唯一の停留値を与える経路だ.波で考えると,ど真ん中をまっすぐ進む経路以外では,隣接の経路との時間差が激しく変化しすぎて打ち消しあう,ということになる.これらは概ね正しいのであるが,そういわずに,まんなかの経路の近くをぐいっとアップしてみると,下の図のようになる.
ど真ん中(A)からずれると,光の行く距離がピタゴラスの定理で長くなり.波の山と谷の位置がだんだんずれてきて,あるところまで行くとまったく逆になってしまう(B).もう少し行くと,逆にまた合ってくる(C).さらにずれてくる・・ を繰り返すことになる.面倒なので図に描いていないが,中心から反対側にずらしても同じだ.前にレンズの公式のところでやった計算によると,長さの増え方は中心からの距離の2乗に比例するので,ずれる速さは中心から離れるにしたがって速くなり,合ったり外れたりの周期は短くなる.
真ん中の光にとってみれば,山と谷が合う(経路の長さが波長の整数倍ずれる)波は強め合うことのできる「味方」であり,山と谷が反対になる波は打ち消し合う「敵」だということになる.敵の位置が計算でわかっているのだから,その場所を黒く塗るとかしてブロックしてやったらどうなるだろう.こんな具合にだ.
こうすると,レンズがなくても,あたかもレンズを置いたように,狙った位置に光を集めることができそうな気がする.一部を塗り消しただけで光が集まるのは常識的にいうと奇妙だが,波の説が本当ならそうなるはずだ.
まさかと思う人もいるかもしれないが,実際にそういうものが存在して「フレネルゾーンプレート」(Fresnel zone plate)と呼ばれている.上は断面図なので,実際には中心から遠くなるほど間隔のせまい同心円を交互に黒く塗ることになる.
画像検索の結果はこの通り.
fresnel zone plate - Google 検索
上の断面図をみると「これってヤングの実験じゃん.学校で習ったよ」という人もいると思う.基本的にはそれで正しいのだが,ヤングの実験では「しましま」(干渉縞)が見えるだけで写真はとれないだろう.フレネルゾーンプレートはレンズの代わりに使って写真が撮れるのである.以下のリンク先のサイトに作例がある.
なお「しましま」を見るだけなら,2本の指の間を狭くして,隙間から明るいところを覗く,という方法がある(ファインマンの本に出ている).やってみると,1本か2本かわからないけど,確かに見えるような気がする.
ーーーーーー
(後日補記)
ピンホールカメラといういうのがあって,これは真ん中の穴だけで風景が逆さに写る,というものである.古くから知られていたらしいが,考えてみればこれも光を遮ることで像が見えるわけだ.ただ,これだと光が波であることを考えなくても,光線のレベルで「他の光で分量的に消えてしまわないようにしたから像が見えるようになった」で説明できるだろう.そう考えると,フレネルゾーンプレートの場合も,同心円の幅を変化させたりして,像が消えたり弱まったりするさまを観察しないと,波である証拠としては不十分かもしれない.ピンホールによる逆像の歴史については.たとえば,リンク先のブログ(すごい充実した内容)のトップから少し下のところにある
http://www7b.biglobe.ne.jp/~photojii/SLR/SRL.htm#top
ーーーーーー
ゾーンプレートがレンズになるのなら,もう現実に光を集めたりしなくても,光の山や谷(位相)をセンサーで測っておけば,あとからコンピューターで計算して自由に画像が作れるのでは? と思う人もいるかもしれない.残念ながら,光の波については位相を直接測定するセンサーはないので,それは多分無理である.デジカメのセンサーでも人間の眼でも,信号を2乗した強度を時間平均したものしか測れないのだ.しかし,もっと波長が長い電波について,そういう方式でバーチャルな電波望遠鏡を構成することはかなり以前から行われている.原子時計などを使って正確に観測時刻を測っておけば,地球の反対側のデータと組み合わせて巨大望遠鏡を作ることも可能である.最近の話題としてはこんなのがあった. www.huffingtonpost.jp
こういう方式だと,電波を測定できる場所は全体のうちほんのちょっとで,普通のレンズやゾーンプレートのように「丸い範囲の全体」というのとは全然違う.厳しい条件での画像再構成になるので,ベイズモデルやスパース推定のような新しいデータサイエンスの手法のよい応用対象になっている.
ーーーーーー
ポアソンの斑点(アラゴの斑点)
光が波である証拠として学校で習うのは,計算が簡単な「ヤングの実験」で,歴史的にもそれが先行しているが,発見されたときに衝撃的だったのは「ポアソンの斑点」(Poisson spot, Arago spot)である.
正確な円形の光を通さない板を平行光線に垂直に置くと,当然丸い影ができるのだが,そのど真ん中に明るい点が出現する,というものだ.光を通さない板が光を通したら矛盾だが,これは波が縁を回りこんでいくので,通り抜けるわけではない.
そんなの見たことないぞ. こう書いていても本当とは思いがたいのだが,ウェブを見ると,いろいろ実験例がある.いや確かに光ってますわ.
https://www.kth.se/social/files/55f1b177f276540261b6a04b/arago092015.pdf
ひとつ目のリンク先は緑色のレーザー(たぶんレーザーポインター)と小型天体望遠鏡の組み合わせである.カセグレンとかシュミカセとかマクストフとかいう類の望遠鏡には中心軸上に円形の鏡があるので,これをうまく使っている.ふたつの図のうちひとつはシミュレーションだが,ホンモノのほうもはっきり写っている.もうひとつのリンクは普通の光での検出にチャレンジしている.
斑点に名前がふたつあるのには曰くがある.波動説に基づくフレネルの論文(学位論文ではなく懸賞論文らしい)を審査したポアソンが斑点の存在を導出して「その説が本当だったら,こんなヘンなことになる.ありえへんやろ.やっぱり光は粒子や」と言った.それを聞いたアラゴが実際にやってみたら「やっぱり光ってましたわ」となって,ポアソンびっくり.それで両方の名前がついているのだそうだ.まさに「科学は常識ではない」の良い例だろう.
ポアソンの名前はポアソン分布とかでよく聞くが,アラゴは知らなかった.調べてみると,子午線の測量に行って逮捕されて脱出して海賊に襲われて難破したが無事データを持ち帰ったり,ファラデーより前に電磁気の面白い実験をしたり,オーロラと磁気の関係を指摘したり,大臣になったり,大活躍のすごい人のようだ.
フランソワ・アラゴ - Wikipedia
ポアソンの斑点のできる仕組み
ポアソンの斑点の仕組みはけっこう微妙である.完全な円形ということから,円のふちから中心までは等距離なので,光の波の山と谷はぴったり合う.それで明るくなるのだ,という気がするが,実際は円のふちだけでなく,もっと外から来る波もあるはずである.
ゾーンプレ―トの説明に使ったときの図のように,山と谷が合った部分と合わない部分に帯状に分けてみると,外にいくにしたがって,距離に反比例して帯の幅が狭くなる.だったら,外のほうは「ひとつ置きに符号が変わって打ち消し合いながら,それぞれの帯の寄与自体が距離に反比例して減る」のかと思うと,それは違う.上の図は断面で,本当は円形に分けるので,外に行くほど円周は伸びていくので,(帯の幅)X(円周の長さ)は一定になってしまうのだ.
結局ちゃんと積分しないとわからないわけだが,計算のキモの部分はあとのおまけに示した.
アラゴの斑点,系外惑星観測の大計画を邪魔する
ウェブを眺めていたら,すごい計画を見つけた.太陽系外の惑星を観測するために,宇宙望遠鏡とセットで「遮蔽体」を軌道に乗せる.遮蔽体は望遠鏡の数万キロ前方を飛んで,星の光を遮り,惑星の観測を可能にする.壮大な話なのだが,真ん丸の遮蔽体にすると・・ そう,ど真ん中にアラゴの斑点が出てしまうのだ.下記の論文は線形計画法を使ってスポットが出にくい遮蔽体(たぶん周辺部を半透明にするのだと思う)を設計するという内容のようである.
https://www.princeton.edu/~hcil/papers/rvdbp_PoissonSpotPaper2.pdf
前向きの応用としては,円盤や球の中心を正確に計測するのにも使えるらしい.
以下はおまけ.
(おまけ1)波の打ち消し合いの数学,負符号問題,(ついでにタイムパラドックス)
この解説で述べたような「波の打ち消し合い」に相当する仕組みの解析はここ300年ほどの数学でかなり重要な位置を占めているようで,易しいものから高級なものまで色々調べられている.
1次元版の比較的簡単なものとしては,たとえばこんなのがある.
リーマン・ルベーグの定理(1)
物理や工学のあちこちで出てくる「フレネル積分」というのも発端は光の波の数学である.
高次元での打ち消し合いを一般的にかつ厳密に扱おうとすると,もう筆者の守備範囲外であるが,ヘルマンダ―とか出てきて怖そうだ.
振動積分作用素 - Wikipedia
量子力学のファインマン経路積分になると,素朴に理解するのは容易でも,実時間のまま数学として顕密に扱うのは大変らしい.同じ経路の重みを扱うのでも,正負の符号や複素数が出てきて,大規模な打ち消し合いが主役を演じるので,ウィナー積分とは違って経路の空間の測度は一般には定義できず,ずっと微妙なものになる.
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1723-01.pdf
数学的に厳密な扱いだけでなく,数値的な計算もまた大変である.高次元になってくると,乱数を使ったモンテカルロ法,とくにマルコフ連鎖モンテカルロ法が使いたくなるが,波の打ち消し合いが主役を演じるような量子的な問題への適用はかなり限られてくる.重要な経路を選んだつもりでも,どんどん打ち消し合って効率が上がらないことがしばしば起きる.これを負符号問題というが,そもそも確率とかブラウン運動のような世界と量子力学は根本的に違うので仕方がないともいえる.
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(おまけのおまけ)
タイムパラドックスも経路積分の打ち消し合いで説明できる!というのがあるそうで,わかりやすい解説がここにある.タイムパラドクスのあれ | phasonの日記 | スラド もちろん教科書に乗るような話ではないと思うが,楽しそうだ.最小作用の原理ならぬ最小矛盾の原理,時間旅行停留性の原理である.ただ,時間的閉曲線のある場合の量子力学が整合的に定義できるのかどうかはよくわからない.リンク先の論文は見ていないが,こんど読んでみよう.
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(おまけ2)回折理論の系譜(圧縮版)
上で波について計算したやり方は,波の方程式をきちんと扱うのに比べると相当に近似的である.まず,各点から波が出ていくとしたが,これは本当は平面波でなく球面状に広がる波で,強さが距離に反比例する因子がつく.それを入れて17世紀のホイヘンスのレベルになる.ホイヘンスは波が前に進んで後ろにはいかないと述べたが,その正しい表現を取りこんだのが19世紀前半のフレネル,そして波の方程式から正確な表現を求めて,フレネルの結果をその近似として出したのが19世紀後半のキルヒホフ,という位置付けになるらしい.
Kirchhoff's diffraction formula - Wikipedia, the free encyclopedia
「各点から要素的ななにか(いまの場合は波)が出て解はその重ね合わせになる」という考え方の起源は古い.たとえば「地球を細かいかけらに分けて全体の引力を計算する」というようなやり方にもそれは含まれている.しかし,ホイヘンスやフレネルが波について考えたことは,そういう考え方が一般化され発展していく中で重要な役割を担ったと思う.その本質は線形性ということだが,グリーン関数とかインパルス応答とか伝搬関数とか,名前はまちまちでも,そういう考え方は現代の科学や工学のいたるところで使われている.機械学習で使われるカーネル法で「推定結果をデータを代入したカーネルの和で表現する」というのも,その遠い子孫だといえないこともない.
(おまけ3)ポアソンの斑点の計算
以下,やで書くこともできるが,複素指数関数 を使わないとだんだん我慢会のようになるので,使ってしまうことにする.複素数の答の絶対値が波の強度,位相が波の位相に対応するというのが解釈のルールである.
ざっくりいうと,ど真ん中の光の波を求めるには次のような積分を計算することになる.これになにか未知の複素数の定数がかかっているかもしれないが,その分は遮蔽物なしの場合との比で考えればよいだろう.
ここで,が波の出てくる点の中心からの距離,が円盤の半径,が波長とかスクリーンまでの距離とかそういうのが入った実数の定数である.本文で述べたように中心からの距離の2乗で位相がずれるのでの中はになっている.一方,円周の長さがに比例するので,積分のほうにとが入っている.
下端はいいとして,上端のはどうしたらよいだろうか.実際には,フレネルの理論では含まれているがここでは省略した因子(傾斜因子)の効果がある.また,それ以上に,次回に述べるように,光の波は完璧ではないので,あまり大きくずれると位相がランダムにずれてくる.こうした事情を考えると,うんと外側の寄与に相当する最初の項はゼロと見なしてよさそうである*3.すると,積分は以下のようになる.
この計算結果は以下のように表現できる.
円形の遮蔽物を置いた効果は,中心では位相の変化だけで,絶対値はによらないのである.従って,中心はいつも遮蔽物がないときと同じ明るさになる.これがポアソンの斑点である.
2×2行列でレンズ系を解く
今回はレンズ4部作(?)のうちで,いちばん数式の多い回かも.今後こういうのがずっと続く訳ではなくて,数式レスのネタも各種予定しているのでよろしく.
ガウスとレンズのつながり
数学者のガウスとレンズの繋がりというと,カメラが好きな人は「ガウス型のレンズ」を思い浮かべるのではないか.しかし,実はガウスとガウス型のレンズの繋がりは存外薄いようだ.ガウス型の特徴である「前後対称にレンズを並べる」というのもガウスの考案ではないらしい.
それでは,ガウスとレンズはあんまり関係ないか,というと,それは全然違う.レンズの集まりについて,いちばん簡単な近似で議論することを「近軸理論」という.「レンズの中心軸に近い光線(近軸光線)を議論する理論」という意味だが,他の分野の用語でいえば,線形近似(1次近似)である.三角関数が好きな人なら「中心軸との角度をラジアンで測ったものをとしたときに,となる範囲」を扱う理論というのがわかりやすいかもしれない.
この理論をまとめたのがガウスで,それは今日にいたるまで,あらゆる光学機器の基礎理論になっている.ガウス型のレンズどころではない,もっと根底の部分でレンズの世界にかかわっているのだ.
ガウスの近軸理論
ガウスの作った理論の重要な結果は,いろんな厚さでいろんな種類のガラスでできたレンズを並べたときに,それが近軸理論の範囲では仮想的な1枚の薄いレンズで置き換えられるということである.たとえばこんな感じ(これはまったくでたらめな配列だが)のものがインプットとして想定されている.
興味深いのは,アウトプットのほうである.単にある位置に置かれた1枚の薄いレンズで置き換えられるというわけではなくて,もうひと捻りある.下の図のように,左から入る光線はある位置にある仮想レンズに当たって,レンズの法則に従って屈折する.ところが,その光は仮想レンズをいま置いた位置から出てくるように見えるのではなく,別の位置に「ワープ」して,あたかもそこに仮想レンズがあるかのように右から出てゆくのである.
もちろん本当に物理的に瞬間移動するわけでなくて,あくまで中身を知らない人が外からみたときにそう見えるということだ.右から入れたときはちょうどその逆になる.2つの位置を第1主点・第2主点,もしくは,前方主点・後方主点という.
なぜこんな結果になるのか.答を先に言ってしまうと,これはレンズを組み合わせた系の有効なパラメータの数が3個だからだ.近軸理論の範囲でのパラメータの数が2個であれば「仮想レンズの焦点距離」と「置く位置」ふたつで合わせられるので,ワープはいらない.逆に4個だったら合わせるのが難しいだろう.ちょうど3個なので「仮想レンズの焦点距離」と「置く位置」と「ワープの量」の3つが必要になるわけだ.
そして「パラメータの数がなぜ3個になるか」というところに,ちょっとエレガントな説明がある,というのが今回の話のポイントである.
数理に明るい人は「パラメータの数だけ合ってもダメな場合もあるでしょ」と思うかもしれない.その通りである.いまの場合も例外的なケースがあるが,それはあとで説明する.
今回の元ネタ
この話に興味を持ったきっかけは,友人に「レンズがいっぱいあるのに1枚で説明していいのか」みたいなことをいわれたことだったような気がする.レンズの仕組みを説明したものを読むと,最初のところに上のようなことが書いてある.しかし,その導き方はよくわからなかった.
少し一般向きの解説だと,導出は省略になっていたりする.またガチの専門書の冒頭部分をみると,細字の数式や複雑そうな図が出ていて,技術系マインドでない私はギブアップ.そんなとき,ふと思いついて,数年前に買って開いていない数理物理の本の冒頭部分をみると,おおこれは! すっきりしてわかりやすい説明が!
すっかり,見たまえ!こういうこともあろうと思って準備しておいた! 博士みたいな気分になってしまった.もっとも,索引まで入れて468ページの本のうち,ここで紹介する部分に対応するのは7ページから16ページの10ページ分である.役に立った部分2.1%.
このネタで書こうと決めたあとで,別の友人から最近出た以下の本を教えられた.まだ中身は見てないが,題名からいうと,かぶりそうに見える.
・・と思ったら,山本先生がこのネタで書こうとした動機は,実は上の本であった.
http://www.sugakushobo.co.jp/903342_77_mae.html
Amazon.co.jp: 幾何光学の正準理論: 山本義隆: 本
うーむ,目次をみると面白そうだ.近軸光学についてはウェブにもいろいろあるし,背景や展開は元ネタ本や山本本が詳しそうだが,ここは「最短かつ最も易しい」というのを目指してみたい.一般に,面白い科学理論の最大の問題点は皆がその存在を知らないことなのだから,何らかの意味はあるだと思う.
簡単化
ここでは,簡単化したバージョンを証明することにする.要素はすべて薄いレンズだとするのである.たとえばこんな具合だ*1.
一般の厚さのレンズの場合も「レンズ全体」の代わりに「レンズの片面」(屈折率の変わる面)を単位とすれば,ほとんど同様に進められるが,1か所だけ重要な変更が必要である.それはあとで説明する.
光線と行列
さて,本論である.まず,光線の屈折の具合をあらわすのに,光線の軸からのずれの大きさと軸との角度を使う(ともに正負を考える).これらを縦ベクトルにまとめて と書くことにしよう.横軸であらわされる位置を時間に置き換えれば,が位置座標,が速度に相当する感じだ.
次に,(1)光線が横軸の距離だけ進む, (2)焦点距離の薄いレンズにぶつかって方向を変える.という2種類のイベントを考えると,以下の節で見るように,近軸理論の範囲ではそれぞれが上のベクトルの1次変換になっていることがわかる.以下,(1)と(2)の1次変換に対応する行列を,それぞれとと書こう,
われわれの系は任意の間隔で並べた薄いレンズだけでできていると仮定したので,との2種類の行列ですべてが表現できる.「1次変換の合成は対応する行列の積」ということを使うと,レンズの系全体の定義する1次変換は
のような有限個の行列の積になる.
なお,以前の解説ではのようなに下付きの文字が付いた記号は焦点距離でなくレンズからの距離をあらわしていたが,この解説では複数のレンズの焦点距離を区別するのにも使う.実は不注意で両者が混在してしまい,紛らわしくて申し訳ない.
以下,行列と行列を具体的に書いてみよう.
行列を具体的に書く
一方,はもう少し難しくて,この記事の中で唯一ちょっと考えないといけない部分である.といっても,大したことはない.以下の図で,光線の方向がレンズによって方向に変化したわけだが,よく見るとはマイナスなので,方向の変化の大きさは符号を含めてである.
ところが,やはり図から,近軸光線の条件のもとで,となる.そこで,レンズの公式から, となり,方向の変化はに比例し,比例定数はだということがわかる*2.位置は薄いレンズでは変わらないので,行列にまとめると,以下のようになる.
行列式が1になる
さて,とが分かったので,あとはもう何でもできる.好きなようにレンズを並べて,対応する行列をかけ合わせればよいのである.
まあ,これだけだと,いちいち行列で書かずに1次式のまま代入すればよいのではないか,という人もいるだろうが,実はいまの場合,行列で考える利点がひとつある.いわゆる行列式の概念が有用なのである.
行列 の行列式は で定義される実数である.
との行列式を計算すると,上の定義から
となり,どちらもになることがわかる.
さて,ここで,任意の行列について「績の行列式が行列式の積になる」 という素敵な性質がある(ここでは行列としての積.は普通の実数の積をあらわす). これは決して偶然ではなくて意味のあることである.習ってない人や忘れた人はおまけを見てほしい.
いまの場合にこれを適用すると,の形の任意のについて となることがわかる.
すなわち,われわれは理論の鍵になる次の補題を証明したことになる.
薄いレンズを組み合わせた系を表現する行列の行列式は常に1である
証明したいことを行列で表現する
さて,いよいよ本題である.いま,「光が発射される点(光の追跡を開始する点)」と「結果を観測する点(光の追跡を終了する点)」の横座標は決めてあるとして,薄いレンズを組み合わせてできる任意の系を表現する行列を
と書こう.このとき,うまくとをとると
のように3つの行列の積で表わせることを示したい.
右辺の行列の積は何を表わしているか.変換されるベクトルを縦ベクトルで表わしたとき,一次変換の行列は右から左の順に作用するということに注意すると,以下のようになる.
まず,光が発射される点の横座標を基準として,だけ移動した位置に焦点距離のレンズがあるかのように,光の経路が曲がる.これが右の2つの行列の効果を乗じたものに相当する.次に「横座標がさらにだけずれた点でその光線を観測したのと同じ高さと方向」が最初に決めた観測点で観察される.これが一番左の行列が表わしていることである.
ここで,光線を発射する点と観測する点の現実の距離 は とは限らない.その差が先に述べた「ワープ」に相当するわけである.
逆側から光を入れた場合は,行列の積の順番が逆になったのと同じなので*3.距離のところにある仮想レンズで屈折して,それをさらに距離ずれたところで観測したように見える.少し考えるとやはり同じ距離だけの「ワープ」が発生していることがわかる.
証明のキモの部分
証明すべき式をよく見ると不安になる.左辺にはの4つのパラメータがある.これに対して右辺で変えられるのはの3つである.明らかに足りないではないか.
ここで,先に示しておいた「薄いレンズを組み合わせた系を表現する行列の行列式は常に1である」という補題の出番である.行列が薄いレンズの系に対応するなら,は任意ではなく,行列式 という条件を満たさなければならないのである.したがって,左辺の有効なパラメータの数は4でなく3なのだ.
あとは,紙と鉛筆で計算して確かめるだけである.それは皆さんの練習問題ということにしよう.キンコン・カンコーン!授業おしまい!
具体的な計算
え? いま電車の中で吊り革につかまってスマホで読んでて紙も鉛筆も無理だって? 家に帰ってからやればいいじゃん! いや,家に帰ると子供がいて,あとビール飲んじゃうし.
わかった.全部ここで計算してみせればいいんだよね.やりますよ!
まず,左側の2つを掛け合わせると
そして全部掛けた結果は
となるので,これをと等しいとおく.
まず,(2,1)成分を比較してとなる.
次に,(1,1)成分,(2,2)成分を比較して,及び が出て,これから , となる.
最後に残った(1,2)成分がになればよいわけである.以下,その願いを込めて「になれ!」という変数名にしよう.
これに,, ,を代入すればよいのだが,カッコの中の は (解く前の式)で直接置き換えると,少しだけ労力が節約できる.
さて,ここで, から となることを使うと,「になれ!」が本当にになることがわかる.めでたしめでたし,大団円.
例外的な場合
おっとちょっと待ってくれ.ゼロで割ったらいけないだろう.だとマズイんじゃないか?
だとは無限大になるが,このとき やが1にならないようにするとでなくてはならない.逆にとをともに有限に留めると対角成分とは強制的に1になってしまう.
いやまて, となるような薄いレンズの組み合わせはもともと上のような特別の場合しかないという可能性もあるのではないか.
しかし,下の図のようにふたつのレンズが焦点を共有するように並んでいる場合にも となるが,これは一般には上のどちらでもない.このケースでは1枚の薄いレンズでは不足で,どうしても2枚必要になる.
対応する行列は に相当するが,これを実際に計算すると以下のようになる.
この場合,入射した平行な光線は平行な光線として出ていくが,これは素通しという意味ではない.入射光線を傾けたときの出ていく光線の角度は一般には入射光線の角度と同じではない(倍率が1とは限らない).
(おまけ1)行列式について
行列式の絶対値は,2×2行列の場合には列(行でもよい)のベクトルのつくる平行四辺形の面積であり.一般の場合はn次元の体積であるというのは比較的よく知られていると思う.符号はある規則で決まる(もとの世界と鏡の中の世界.右手系と左手系の一般化).たとえば,下のリンクのサイトに説明がある.
しかし,この直観的理解では,もとの行列のあらわす一次変換の性質と行列式が直接結びついていない点が決定的に弱い.数理的にはあと1歩であるが,もう1段踏み込んで「一次変換の面積(体積)拡大率に符号を付けたもの」として理解する必要がある.この見方からは.一次変換の合成,すなわち行列の積に関して,対応する行列式が積になるという性質は自然なものに思えるだろう.
歴史的には行列式は連立一次方程式を解くために(行列よりずっと早く)導入されたが,実際に学部専門課程から大学院にかけて出てくるのは,ほとんどが積分の変数変換に関連してである(いわゆるヤコビ行列式).苦手な人の多い多変量の確率密度関数の変数変換も本質的には同じことである.
そこでは「一次変換の面積(体積)拡大率」という解釈が本質的になる.行列式について正しい直観を持たずに,単に「方程式を解くための略記法」などと考えていると,先に行ってわからなくなる原因になる.
(おまけ2)一般化
任意の厚みのレンズの場合に同様のことをやるにはどうするか.この場合には,レンズの各面を独立に考える必要がある.そのためには,左右で屈折率の違う曲面を通る場合の方向の変化をあらわすものとして行列を再定義してやる必要がある.近軸光線だけを考えるので曲面は球面(もしくは放物面)と考えてよい.
ここで困ったことが起きる.そのままでは再定義したの行列式が1にならないのである.しかし,うまい工夫がある.光線をあらわすベクトルを とする代わりに,その場所の屈折率nを使って とすると,対応する行列の行列式はすべて1になり,ここでやったのと並行な議論が可能になる.
(おまけ3)背景
いまの話はレンズの話として重要な応用があるわけだが,物理や数学のエライ先生が取り上げるのは,19世紀から20世紀の物理学の広範な背景を意識してのことだろう.
そのへんを説明抜きで一気に喋るとあらまし次のようになる.光の理論のおおもとはマクスウェル方程式から導かれる波の議論であるが,その近似がハミルトンが建設したアイコナール理論であり,そのまた近似がフェルマーの原理に基づく幾何光学であり,そのまた近似がいま述べた近軸理論である.一方で,ハミルトンの名を冠したもうひとつの理論であるハミルトン形式の力学はフェルマーの原理に似た最小作用の原理と結びついていて,数理的にアイコナール理論に似た形式のハミルトン・ヤコビの理論というのもある.そうなると,ニュートン力学の奥底にも何か波動のようなものが隠れているのでは・・という気がしてくるが,その正体が明らかになったのは量子力学の時代になってからであった・・等々.
この文脈では,なにげに現れた「2×2行列の行列式が1」という条件は,ハミルトン力学に現れるシンプレクティック変換の原型ということになる.19世紀から20世紀の物理学という巨大な龍の1枚の鱗を見ているようなものなのかもしれない.
*1:以下ではすべて凸レンズの場合を論じるが,適切にマイナスの符号を考えれば薄い凹レンズを含む場合もたぶんこのままの証明でOKだと思う.
*2:虚像の場合は別に図を描いて,やがマイナスの場合にも同じ形のレンズの公式が成り立つことを使って議論しないといけない.ちなみに,前回は誤魔化したが,虚像の場合のレンズの公式をフェルマーの原理を直接使って導出することができるのだろうか.考えたがよくわからなかった.
*3:「光線の矢印の向きを逆転させても同じ経路をたどる」ということと「逆方向から見たときには行列の積が逆順になる」は矛盾しない.たとえば左から平行な光線を入れたら右から収束する光線が出てきたとする.前者は「収束光線の矢印を逆にした発散光線を右から入れたら左から平行光線が出てくる」ことに相当する.これに対して後者は「右から平行光線を入れたらどうなるか?」ということである.
光学の初歩はけっこう面白い
なんでこんなことになったのだぁ
これから数回続けて光学ネタになるが,レンズブログになったわけではないし,特別にこの方面が得意というわけでもない.もとはといえば,友人にカメラの絞りと被写界深度の関係について聞かれたのが発端である.「せっかく図をかくのだから裏ブログに載せるよ」というわで,2,3日でさくっと済ます予定だった.
しかし・・ 良い意味で,はまってしまったのだった.「レンズの公式ってどうやって出すんだっけ? そういやファインマン物理に秀逸な説明あったよな」とか「<レンズを沢山組み合わせても1次近似(近軸光線)の範囲では1枚のレンズに等価になる>ってガウスが証明したのか~.で,どうやるの?」とか言ってるうちに,みるみる拡散して,もとの質問はもはや何だかわからんという状態に.
いや,やっぱり光って面白いよね.ゾーンプレートとかアラゴの斑点(ポアソンの斑点)のような光の波の性質が絡むアダルトな話題も素敵だが,実は中学レベルの実像・虚像というのもよくわかってなくて,虫メガネ買ってきて試したり・・ ちょっとマイブームなのだった.
今回の元ネタ
それで,今回のお題は「レンズの公式」である.いわゆる
という形をしているやつだ.自分の中では「焦点深度を被写界深度に換算するのに使う」というので出てきたような気がするが,それはどうでもよくて,この有名な式をなるべく直観的にわかるにはどうするか,というのが趣旨である.
元ネタは「ファインマン物理」の日本語版2巻(原書1巻)の中にある光学に関する2つの章である.そこの説明の特徴は「フェルマーの原理」(最小時間の原理)からダイレクトにいろいろなことを導いていく点にある.フェルマーの原理自体を波動から説明する部分も含めて,ファインマン自身の仕事に通じるものがあると思う人もいるかもしれない.
英語版がウェブで無料で読めるので,ここでわざわざ解説する必要はないかもしれないが,改めて眺めてみると,記憶にあるのよりも詳細で本格的な展開になっている.キモの部分だけならもっと短く話せそうなので,やってみることにした.
ファインマン物理の該当の章(英語版.レンズの公式はこれの次の章になる)
The Feynman Lectures on Physics Vol. I Ch. 26: Optics: The Principle of Least Time
フェルマーの原理
まず,出発点になる「フェルマーの原理」とは何か.
とりあえず,ちょっと不正確なバージョンでいうと「2点の間を結ぶ光線は通過時間が最小になる経路を通る」というものだ.これで「屈折」という現象を説明してみよう.
水も空気も砂糖水も透明だが,なにかしら見かけに違うものがある.砂糖水を水に落として透かしてみると,もやもや混ざっていくのが見える.
一体なにが違うのか.屈折率が違う.正解だが,では,屈折率って何だろう,実は屈折率というのはその物質の中の光の速さなのである.屈折率がnというのは光の速さが1/nになることを意味する.たとえば,水の中では空気中より光は遅く進む.
下の図は水面に光線が入ったところで,上は空気,下は水である.A点からB点に光が進むとして「最短時間」の経路はどうなるだろうか.自分が光になったつもりで考えてほしい.まっすぐ進む緑の線より,遅くなってしまう水中の時間を短めにする赤い線の経路のほうが早くつく,それで光の経路が折れ線になることが説明できた.
本当に面白いのは,単に定性的に説明できるだけではなくて,きちんと最小化問題を解くと,本に載っている「屈折の公式」(スネルの法則)がばっちり出てくることである.しかし,ここではそれはやらない.フェルマーの原理からスネルの法則を出して,スネルの法則からレンズの公式を導く,というのが普通だが,ここではフェルマーの原理から直接にレンズの公式を出す.
光線はそんなに賢いのか
レンズの公式を出す計算には関係がないが,疑問になりそうな点をひとつ.
光線というのはそんなに賢いのだろうか
計算機で最小値を求めようとしたことがある人なら知っていると思うが,本物の最小値を求めるのは,あらゆる可能性をチェックしなければならないので,簡単ではない.比較的簡単に求まるのは「その近くでは最小」という,いわゆる局所的極小である.
光は波動の性質を持っているらしい.だから今はやりの量子計算機のように,ホンモノの最小値をずばりと当てることができるのかも,と思う人もいるかもしれない.
フェルマーの原理のウラに波動がある,というのはいい勘なのだが,残念なことに光線が選ぶのは本物の最小値とは限らず,局所的極小のこともある.さらに一般には最大値や最大最小の混じった峠のような経路になることも可能である.そういうのをひっくるめて「停留値」という.停留値は「そのまわりで(下の図の左の灰色のもにゃもにゃのように)少し経路をずらしたときの到達時間がほとんど変わらない」という性質を持っている.下の図の右でいえば,赤のあたりは停留値で,緑のあたりは停留値ではない.
正しいフェルマーの原理は「2点の間を結ぶ光線は通過時間が停留値になる経路を通る」ということになる.多くの場合は最小値になるし,そのほうがわかりやすいので,ファインマン物理を含めた多くの教科書で「最小時間の原理」として最初は導入されるというわけだ.
もちろん,本当に気になるのは「停留値」の背後にある理屈である.あとの記事で触れる予定だが,すぐ知りたい人は,上のリンクのファインマンの説明(1章目の最後)を見てほしい.
レンズってどういうもの?
ところでAとBの間を最小時間で結ぶ経路は1本だけとは限らない.実はそれが無数にある場合がいわゆる「焦点」なのである.
もちろん,上のように何もなければ最小値も停留値も「AとBを結ぶ直線」しかない.図のほかの折れ線はそれより長く,時間がかかり,停留値にもならない.
そこで「何か」を間に入れてやることで,全部の折れ線の通過時間をAとBを結ぶ直線の通過時間と等しくしよう.
この何かに,薄いガラスを使うのが凸レンズというわけだ.ガラスの中では光の速度が1/nになることを使って「経路の短いところほど厚いガラスを通過させる」のがキモである.ぶっちゃけ,経路の長さの差に比例してガラスを厚くするわけだ[*1]
どんな形状のものを入れたらよいか,折れ線の経路の長さを図解してみよう.わかりやすくするために左右を赤と緑で塗り分けることにする.
下の図の一番上のように端っこを揃えてならべると,あいだの隙間が距離の差になる.これに比例した厚さのガラスを通過させればいい.
隙間の形がなんかどこかで見た形である.上から2番目のように灰色に塗ってみると,おおお,凸レンズの形だ!
念のために言っておくと,両側に膨らませる必要はなくて,たとえば上から3番目のような形でもよい.しかし,一番下のようなのは性能が良くなさそうである.
ピタゴラスの定理
「レンズの公式」を出そうとすると,さすがに図解だけでは無理で,ちょっとは計算が必要になる.
まず必要なのは,ピタゴラスの定理で,直角三角形の斜辺の長さを で求める.両側のそれぞれについて計算すると,およびとなる.
これで経路の差が厳密に求まるが,通常の「レンズの公式」は,折れ線と「AとBを結ぶ直線」の角度があまり大きくないときの近似式なので,が小さい時の平方根の近似式を使う.
こういう式は「自分の鼻の穴と同じくらいよく知っている」か「全然記憶にない」のどちらかではないかと思うが,念のために導出をあとにつけておいた.試しに数字を入れてみると, なので,かなりいい近似になっている.ちなみに高校までは「近似的に等しい」は≒だが,大人の世界ではを使うことが多い.
この近似式を使うと
となって,これらの和からAとBを結ぶ直線の長さを引くと
となる.
レンズの公式
この結果から何が言えるか.
まず,凸レンズのガラスの厚さだが,近似的にに比例するという答である.これは2次関数で放物線だが,下の図でわかるように,この近似のレベルでは円とあまり変わらない.いままでずっと2次元の断面図で考えてきたが,実際には3次元的になっているので球面ということになる.
実際にレンズを作る場合,以前の技術では球面以外の形は難しかったので,これは好都合である.しかし,写真レンズではの大きいところまでの光を集めたいので,そうすると近似式はダメになってボケてしまう.またここでは論じていない,光の色(波長)に関するずれもある.多くの物質では色によって屈折率が変わるのである.それらの対策として,球面でガラスの材質が違うレンズをたくさん組み合わせたのが,実際に使われる写真用のレンズである.いまでは球面でないレンズも以前より安く作れるので,必要に応じてそれも混ぜて,合わせ技的にうまく光を集めるわけである.
次にこれが本題なのだが
という式をよくよく眺めるとわかるように,との間に
という関係があれば,すべてのについて,折れ線と「AとBを結ぶ直線」の距離の差は等しくなる.ということは,同じレンズでAからの光をBに集めることができるわけだ.
逆にレンズを固定して考えると,いろいろな距離からの光は,距離のところに集まることになる.
レンズによって決まる上の定数をと書くことにすると,上の式は
となる.これが求めるレンズの公式であった[*2].
今回のメインの話はこれでおしまい.
眼とフィルムの違いとか(ほぼおまけ)
ところで,読者はレンズの初歩の話を学校で習ったことがあるだろうか.自分は中学まで独自カリキュラムの私立だったので教わっていないが,同世代の人は「実像」とか「虚像」とか義務教育で習っているようだ.しかし世代によって違うのかもしれないし,苦手だった人もいそうなので,ちょっとだけ復習しよう.得意分野ではないので,自分の勉強も兼ねてである.
まず,いままでは中心軸の上にある1点が光る(点光源)として考えていたが,すこしずらすと次の図のようになる.赤と緑の長さの比率だけ拡大・縮小されるわけだ.一般の光源はいろいろな明るさの点光源の集まりだと考えればよい.
次に下の図の赤い線のところに写真のフィルムを置くとそこにピントのあった写真が写る.青の線や緑の線の位置だとピンボケになる.デジカメのセンサーだとそれぞれに小さいレンズがついていたりして本当は少し複雑だと思うが,基本的にはフィルムと同じだ.このとき,上の図の赤と緑の関係をみればわかるように像は上下も左右もさかさまになっている.フィルムの場合でもセンサーの場合でもそうなのだが,直接見るわけではないので意識しないだけだ.
フィルムに写る像をダイレクトに見ようとすると,赤い線の位置に白紙を置いて前からみたり,半透明の紙を置いて後ろから見たりすることになる.これらの場合は,いったん集まった光が紙の繊維で散らばってそれが眼に入って・・となるわけで,実はそれなりに複雑なプロセスが背後にある.
さて,混乱しやすいのは,直接にレンズを目で覗いた場合である.この場合に何が起きるか.レンズの位置と対象の物体を固定して,レンズに眼を近づけていくと,緑の線のあたりでは鮮明な逆さまの像がみえる[*3 ].次に赤い線のところまで行くと,像はぶわああっとなって見えなくなる.対象が点光源に近いものだと,レンズ全体が明るく輝く感じだ.さらに青い線を越えて近づいていくと,こんどは逆さまになっていない像が不鮮明に見えてくる.写真ならピントが合うはずの位置で直接に眼で覗くと,一番何も見えない,というのは不思議な気がする.
眼で覗いた場合が複雑なのは,眼の中に水晶体と角膜[*4] というレンズがあって網膜にピントを結ぶようになっているからだ.しかも,水晶体の厚みを変えることで,いろいろな距離の物体から出る光を網膜の上に集めることができるという優れものである.ただし,有限の距離の物体から出る光というのはいつも発散する方向で,無限大の距離になってはじめて平行になる.そこで,収束してくる光はいわば「無限遠より遠い」ということになって網膜に集めることが難しい.
緑の線のところでは像は逆さまだが,光線は発散方向なので,人間の眼に適合性があって鮮明に見える.しかし青い線では収束方向なのでぼんやりとしか見えないことになる.赤い線のところでは眼の中のレンズのちょうどのところに光線が集まるので,秘孔を突かれたようなもので「何も形が見えない」ということになるらしい.この場合も,紙に焦点を結ばせて横から見る場合は,紙の繊維でいったん乱反射されてから眼に入ってくるので問題なく見えるわけだ.
もうひとつ,発散光線になって鮮明に見える場合としては,下の図のように,対象の物体をレンズに近づけすぎて焦点を結ばなくなった場合がある.これだと距離によらず,眼で覗くと逆さまでない像が見えることになる.赤い点線の交点に物体があるかのように見えるのだが,これは人間の眼のレンズを介して網膜に写るという話なので,眼の位置にそのままフィルムや紙をおいても写すことはできない.もちろん,レンズのついたカメラでピントを調節すれば写せる.
あー,難しかった.まだ間違ってないか心配である.「実像とか虚像とかジョーシキでしょ」という人もきっと沢山いるとは思うが,これって,どっちかというと中学生より大人になってからのほうが楽しめるんじゃないだろうか.
ちなみにウェブで検索するには「実像 レンズ」「虚像 レンズ」のようにするのがよい.「レンズ」を付けないと「アイドルの虚像」とかそんなのばかり出てきてぐったりする.もっとも,子供向きの虫めがねなら安いので,上の説明で「あれ?そうだっけ?」と思ったら,まずは実際にやってみるのがおすすめである.
(おまけ1)平方根の近似式
を1より十分小さい数,たとえば1/10とか1/100として
と書くことにする.もまた1より相当に小さい数字になることが期待される.すると
から となるが,はよりさらにずっと小さくなる.
が1/10なら,は1/100だ.そこで,この項を無視して
という近似をする.すると
となり,いちばん最初の式にこれを代入すると,求める近似式
が得られる.
いちいちこんな計算をしなくても,微分すれば一発である.しかし,ある意味では話が逆で,こういう1次式による近似を組織的に求める手法を集大成してできたのが微積分なのだ.
(おまけ2)フレネルレンズ
フレネルレンズ(Fresnel lens)という段々になったレンズがある.安いプラスチックのものはよく見かけるのでみたことのある人も多いと思う.歴史的には灯台に使われたのが重要らしい.
ウィキペディア(英語)
Fresnel lens - Wikipedia, the free encyclopedia
普通はたくさんのレンズあるいはプリズムを寄せ集めたものとして説明されることが多いが,フェルマーの原理との関係はどうなっているのか.たとえば,こちらの興味深い講義では「最小値」でなく「停留値」である例として扱われている.段々のそれぞれの中では停留値なのだが,最小値はそのうちのひとつだけだ,というわけだ.
東京大学 学術俯瞰講義「光学と力学」
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/11351/2/notes/ja/02inouye20121018_1final.pdf
もっともなような気もするが,疑問もある.段のところで不連続になってしまっているが,それでも停留値といってよいのか.また,次回の話を先取りして,光を波動としてみる立場から停留性を導く立場からみると,段の前後の関係が余計心配になって来る.
光を波動として考えるのに慣れている人なら,次のように考えるかもしれない.「これはきっと段の大きさが光の波の波長の整数倍に対応しているのだろう.だったら光の波にとっては段がないのと同じになる.エレガントなアイディアだ!」
実際,フレネルレンズの形態をしたもので.そういうものは作られている.diffractive Fresnel lensというのがそれだ(phase Fresnel lensというのもたぶん似たようなものだと思う)[*5].可視光でなくX線用のは Kinoform というらしい(←訂正 可視光の場合も使う用語というコメントあり).
しかし,普通のフレネルレンズは明らかにそうなっていない.上のウィキペディアの事例をみてもわかるように,粗大な作りのもので,段の大きさが波長レベルまで制御されているとはとても思えないのである.灯台用の古いものなどは,まんなかはレンズだが,周辺部は反射鏡だったりする.これでは位相制御などとっても無理である.
おそらく,段が光の波長よりずっと大きく粗大な作りになっていること,そして入ってくる光がレーザーのようなキレイな光(コヒーレント光)でないことがむしろ幸いして,段のために起こる面倒なことがほどほどで済み,通常の説明のように段ごとのレンズを独立に考えてよいことになっているような気がする.
そう思って探すと「普通のフレネルレンズはレーザーは苦手」という記述を見つけることができた.同じレーザーでも大気中を少し長く飛ばして「少し汚く」してやれば大丈夫の由である.
こちらのサイトにも「diffractiveなものと普通のを混同しないように」とある.
Demystifying Diffractive Optics – Trenton Talbot Photography
実は自分は最初2種類を混同してかなり混乱したのだが,調べてみると奥が深そうである.
*1:定量的には,各折れ線について (「折れ線の長さ」-「AとBを結ぶ直線の長さ」) = (通過するガラスの厚さの差)/(n-1) となるようにすればよい.
*2:実際は凹レンズとか凸レンズでも虚像になる場合にも負の量を考えることで同じ公式が使えるはずだが,そこは今回は省略.
*3:「実像は直接眼で見られない」と思っている人がときどきいるらしいが,虫めがねで試してみればすぐわかるように,そんなことはない,
*4:ちょっと意外だが,角膜の屈折する能力のほうが水晶体よりむしろ大きいのだそうだ.
*5:これらは光の波長を決めて設計されるわけで,単独では普通の白色光を入れると色収差がすごいことになる.それを逆用して,普通のレンズと組わせることで高度な色消しを実現する手法がニコンやキャノンで実用化されているらしい.